嫌いこそものの上手なれ、という場合

・2100字弱




バーーーーーーーーーー

あいっ! あよいっ!

しゃいっ! しゃっ!

だっ! ダーーーーー

オバブーーーー! オバブバブやさんになろうかな


イヒョホ♪ イヒョホ♪



もっかい質問箱ひらこ……



ヒョオーーーー( ^ω^)ーーーーーっ





ごめん、よく聞こえなかったからもっかい言って?




YOーーーーーーーーーーーーー














♪BGM:天国と地獄



それではね答えて行きますけども、わかりやすい分というのはまずわかりやすく描こうという意識を持つところから始まるんですね目標の設定が大事と言うか、ひとりよがりになっちゃだめなんですよ読者のことを常に脳内の片隅に入れてわかりやすい分を書けば書けるんですよね、あ逆にわかりづらい分の書き方の方がよくわからないというかどうやったらわかりづらい分が書けるのかよくわからないので良かったらそっちの方から先に教えて欲しいので、よく考えたらイヤミみたいになっちゃってるけども違って本当にね(笑)、でもわかりやすい文章をかくというのはわかりづらい文章をかかないことと裏返しで密接に切っても切り離せない関係にあるので文章って減点法式だよね加点方式じゃなくて、よみやすい文章の定義が先にあるんじゃなくてよみづらい文章の定義が先にあってそこからはずれるような文章を書いたら読みやすくなるんじゃないかな、例えば一文を短くしてこまめに改行するとかで、なんか私も未熟だったころは「文章が息継ぎしてない」なんて法学教員に怒られたりしたもんなんですけど懐かしいなあ(笑)あと、主語は頻繁に入れられてる文章の方が良いと思っていて、主観的情報と客観的情報もわかりやすく分けた方がいいと思っていて、もうひとつ大切なのは文章の最初に全体像を見せる所で、今から何が語られるのか示して貰えると相対的にそれ以外は語られないことがわかるので聞く方も照準が定まってゴルゴ13になるんですよね(すみません実は私ゴルゴ13見てないですけどでも見てない作品の名前出しちゃいけないという法律はないので注意してくださいね)それからもうひとつあげるとしたら日頃いい行いをしておくことだと思っていて、あの、ChatGPTって確率処理で文章を紡ぎ出しているじゃん(知らない人は、そういうものだと飲み込んで)それまでの会話の流れから、いま組み立てている文章の次に来る単語は何なのかを統計的に導き出して出た単語を文章の末尾にくっつけるという処理の繰り返して文章を生成しているのだけど、それで自然でわかりやすい文章を組み立てられる理由はChatGPTくんが日頃良い行いをしているから乱数調整になって確率処理がうまくいくからなんですよだから研究者の人々は日頃どうやって効率的に善行を積むかについて研究して「コンピュータ善行学」というジャンルがあると言っても過言ではないくらい論文出てるんですよ知ってましたか~知らなかったですよねということで、勉強になる回でしたね~









質問

マジメな回答

 学生時代、私の周囲には言語能力に乏しい大人が多く、複数解釈ができてしまう曖昧な指示とか、極めて抽象的な説明ばかりしてきてイライラしていたので、そこで説明における不正解の事例をいっぱい知り、自分はこうはなるまいと思って現在に至ります。周囲に説明能力の低い大人を配置するのはオススメのメソッドです。

 それから、どうやら人間は認知能力が優れているらしく、かなり幅のある曖昧さを受け入れることができてしまうので、「友人知人の読解力が優れていて、曖昧な説明をしても伝わってしまう」という環境なら、説明能力は育たない気がします。


 まとめると、「わかりやすい文」が書けるようになるためには、以下のようなプロセスを踏む必要があります。

  1. 出生時、あえて読解能力が低い頭にする。

  2. 周囲の大人(親や先生など)としては、説明能力が低い人を配置

  3. 大人の説明力の低さにイライラする

  4. 自分はこうはなるまい……と思う

  5. わかりやすい文章を書こうと意識するようになる

  6. ついでに、友人知人としては、読解能力が低い人を配置

  7. 喋るときは、読解能力が低い相手を想定して喋るくせがつく

  8. 読解能力が低い人にとってわかりやすい文が出力できるということは、読解能力が高い人にとってもわかりやすい文が出力できるということでもある!

  9. モテる

  10. 恋人ができる

  11. 子供が生まれる

  12. いつまでも幸せに暮らしたそうな


 「好きこそものの上手なれ」という慣用句があるけど、私は「嫌いこそものの上手なれ」もあると思うんですよね。私はわかりづらい説明をする人が嫌いなので、それになりたくないと思っている。

 私が学生の頃、パチョコンの仕組みについて意欲的に学べたのも、パチョコンが好きだったからというより、「どういう原理で動作しているのか見当もつかない道具を自分は使いこなしている、という事実がめっちゃ癪だったため」という側面が大きい。背水の陣みたいなイメージだった。

 みなさんも、「自分はあれができるようになりたい」という目標を「自分がこれすらできないのは癪である」という目標に変換してみた方がしっくりくる場合もあるかもしれませんよ。


・おわり


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