ヤバ人間エピソードはなぜ面白いのか/人間公約数モデルによるプロフィールデータ量の削減

・1700字弱


人間公約数モデルによるプロフィールデータ量の削減


・人間は誰しも「人間の共通項を抜き出したモデル(以降、人間公約数モデルと呼称)」を思い浮かべ、初対面の人にはそれを適用している。その方が脳の容量を使わないからだ。

 具体的に言うと、あらかじめ人間の共通項として「大体の人間は、好きなものとしては犬/遊園地/金/花束/揚げ物/睡眠/ゲーム/交友などがあり、嫌いなものとしては生ごみ/長髪の男性/髭/税/蝿/雨/労働/洗い物などがあるよね」といったデータを普段から蓄積し、それを人間公約数モデルとして記憶しておけば、新たに「Aさん」という人物のプロフィールを脳に追加するときに「Aさんは人間公約数モデルに比べて、揚げ物が嫌いで、労働が好きだ」などと差分を覚えるだけでよくなり、複数のプロフィールを覚えるときの容量を節約できる。

・そして、人間はその差分の容量すら節約したがるために、互いに差分を減らし合う。即ち、人間公約数モデルと自分の相違点を減らそうとする。差分を減らすことで、単に互いの脳内の記憶容量を節約できるだけでなく、初対面の人に自分という人間を理解してもらうために費やすコミュニケーション量が減る。

・↑めちゃめちゃしっくり来る文章を書いてしまったな。これは自分の中のベストしっくり文章オブザイヤーの暫定一位だ。

・なぜ急に真理を?

・以降、人間公約数モデルという造語を含む文章を書きたいので、造語の説明をしたということです。




ヤバ人間エピソードはなぜ面白いのか


・統計や機械学習の分野では、手元にある少ない訓練データをインプットしすぎて、その訓練データのノイズにまで過剰に適合し、汎化性能(未知のデータに対応する能力)が失われる現象を、「過学習」と言う。これは人間にもある。

・人間が同時に仲良くできるのは多くても数十人だろう。その仲の良い数十人と価値観を共有していると、偏った価値観について過学習し、それが世間一般の価値観であると勘違いしてしまうことがしばしばある。

 よくあるのだと、「サークルの新人歓迎会で飲酒をしない一年はノリが悪いんだ」「皆は童貞や包茎をかっこ悪いと思っているんだ」「50kgの女はデブなんだ」「オモコロのファンアートを描くときは検索よけしないといけないんだ」「MARCH出身じゃない人間は負け組なんだ」など。

・数千人を観測し、数十人と仲良くしたくらいで、日本語圏だけでも1.2億人いる人間の人間公約数モデルを推測できたと思いこむのは、慢心である。バスタブに張った200Lの水が日本人口なら、その水を大さじ一杯すくったのがだいたい千人である。

・人間公約数モデルは、自分が観測した人間たちから徐々に学習して形成されていくので、人付き合いの経験が多い人ほど精度が高いのだろう。

・が、その人間公約数モデルを揺るがす存在が「ヤバ人間」である。



・ヤバ人間エピソードはネットの色んな場所に転がってるけど、それらはもれなく面白い。

・ヤバ人間エピソードが面白い理由は、今までの人生で得てきた訓練データから大きく逸脱したデータをインプットすることによって、脳内の人間公約数モデルをアップデートできるからではなかろうか?

・思うに、ヤバ人間を大量に観測している人ほど多様性に寛容になるんじゃないかな。ヤバ人間のようなイレギュラーな個体ばかりを観察して学習すると、人間の共通項なんて実に僅かで、それも程度が低いものだと思わされると思う。

・私は「人間は本質的に全員カスである」という前提で生きているので、赤の他人がどんなにカスでも別に想定内なんだよね。
・他人とは、約束も破るし、連絡なしに待ち合わせをブッチするし、貸した物は返さないし、悪口陰口も言うし、マウントはとるし、嘘もつくし、コミュニケーションも気遣いもできないし、およそ良心のかけらもない人間であって当然だ。という前提で他人と付き合っているので、初対面の人間がどれだけカスでも嫌悪感を催さない。

自分の日記よりセルフ引用

・私はこの考え方で暮らしているけど、それで困ったことや困らせたことはないと思うので、皆これでいいのでは?


・おわり

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