愛について


・知るというのは不可逆なことで、知らない状態には戻れない。

・今と昔では、神の見え方も違っていることだろう。現代において、私が思いつく程度の「自然科学的な疑問」のほとんどは答えが出ている。水平線の向こうには何があるのか、太陽の正体は何か、生物はどこから来てどこへ行くのか、全て調べればわかる。それもあって、私は幼少期から、神(≒意志ある設計者、≒意志ある開闢者)を信じる人の気持ちにまるで共感していなかった。

 でも最近は、一度くらい神を心の底から信じる人の目線になってみたいと思っている。でももうできない。


・この前、友人に連れられて伊勢神宮に行った。荘厳だったので「すげ~おっき~」という感想が湧いた。

 でも私が感じた荘厳さは、『車もカメラもなかった江戸時代に、ベストセラー小説「東海道中膝栗毛」を読んで、伊勢参りに行ってみたいなぁと恋焦がれつつ、実際に足を運ぶほどの金か体力はなかった多くの人々が、各々の脳内に思い浮かべた伊勢神宮の荘厳さ』には及ばない気がする。

 200年前、私の8世代前の先祖が、江戸から片道15日くらい歩いて伊勢神宮を見た時の「気持ち」の部分だけを、私はなぜか鮮明に覚えている。しとりしとりと、泣いています……。あの気持ちを味わえることは二度とない。車とカメラが存在しているうちは、未来永劫ない。

 伊勢神宮に行く前に、その歴史的価値について理解できる文献を読んでこなかったことを後悔している。次は読んでから行きたい。


・裸はいつから恥ずかしくなったか

 そのうち読む。「【鬼滅の刃】恋柱に注目するなら乳だけでなく下半身も見ろ」という記事で参考文献として挙げられていて、おもしれっと思った。羞恥心も、一度知ったら、知る前には戻れないのだ。



・自分は中学の頃、電子機器全般がどういう原理で動いているのか知りたかったので、そういう方向に進路を決めた。否、「知りたいから」というより、「自分はどういう原理で動いているのか見当もつかない道具を使いこなしている、という状態が癪だったから」といった方がしっくりくる。

 0と1って何のこと? 電気で文字を送信できるの? 電気でデータを送るって何? 画像データが金属の糸の中を通っているっておかしくない? 赤い色の画像を送信したら、銅線の中を「赤い色」が通っていくという、そういうこと? そんなわけなくない?

 ↑今ならわかる。

 でも、わかったということは、「わからない状態がわからなくなった」ということでもある。


・なんというか、大人は新たに出現したテクノロジーに驚愕するけど、子供はそうではないよな。明治時代、初めて車を目にした大人と、初めて車を目にした赤ちゃんでは、前者の方が驚愕しただろうな。

 今の赤ちゃんは、「生成AIやチャットAIは物心つく前からあったから、生成AIが存在することを何も疑問に思わなかった」という世代に育っていくのだなと思うと、その適応力の高さに畏怖がある。


 ChatGPTやBING AIは、「それまでの文から、次に来る確率の高い単語を推測して、付け加える」という処理の繰り返しで文を生成している[要出典]。その程度のアルゴリズムなのに、平均的な人間よりかは高い論理的思考力と文章リテラシー力を持っている。

 ネットではこういうことを言う人もいる。

ChatGPTのヤバいところは、論理処理が必要だと思っていたことが、じつは多数のデータを学習させた確率処理で解決可能だと示したことだと思います。

とあるブログより

「機械に人間と同レベルの論理的思考を模倣させることができるようになった」というより、「人間が論理的思考だと思っているものの実態はこの程度」という話なのではないかと疑っている。人類の自己評価が高すぎる問題。

とあるバズツイより

 同意。

 だから私は「機械に意志とか感情はあるのか」系の議論を心底アホくさいと思っている。でも、私が機械学習を少し齧っていなければそうは思っていなかったかもしれない。私は、高校の頃の「機械に意志とか感情はあるのか……?」と大真面目な顔をして考えることができた状態には戻れない。皆にはどういう世界が見えているのか……

・私は大学の頃に機械学習について勉強した時期があって、(実装したことはないけど)講義用の実装例のコードを読みながら「確かにな、理論上それで人の脳と同じことができるわ」と理屈の部分だけやんわり理解したことがある。

 でも、そうでない人にとって生成AIやチャットAIとは、どれだけ冒涜的な産物に見えているのだろう。

 今この瞬間、私の「プログラムが動作する原理」に関する一切の理解が抜け落ちてしまったら、私は「生成AIって何? ChatGPTって何? なんで人間と同じことができるの? ダメだよ、おかしくない? だってさ、人間は人間で、コンピュータはコンピュータなんだよ? おかしいおかしいおかしい! うわーーーーわからん何何何わーわーわーわーわーわーわーわー」と言いながらスクランブル交差点の真ん中で死にかけの蝉みたいに駄々をこねながら横回転しはじめると思う。

 皆は、よく正気を保っていられるよな。「電線とか空気中をデータが送受信されている」ってどういうことなのかわからないままスマホを受け入れていて、よく気が狂わないよな。いや、それが愚かということではないよ。私も原理不明のものをよく使うし。

 全ての専門分野においてそうなのかもな。医者は「皆、自分の身体の仕組みについて知らないまま生活していて、気が狂わないのか?」と思っているし、検事は「皆、車をぶつけた時にどう処理するか知らないの? ひったくりされたときにどういう処理になるのか知らなくて気が狂わないの?」と思っているし、政治家は「政治のニュース見ない人って気が狂わないの? 生活基盤が動き続けてるのやど?」と思っているのだ。そうに違いない。


・知るというのは不可逆なことで、知らない状態には戻れない。というその事実は意思決定になんら影響を及ぼさないけど、しっとりと哀しい。しっとりと哀しいという事実だけがある。


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