【日記2024/6/19】お疲れ様

・1600字強


・リプ欄でボコボコに言われてるけど、これってそんなに感覚としておかしいのか? 「疲れてないのにお疲れ様って言われると違和感を覚える」という人、私の周囲にもいるし、私もそうだよ。


違和感①:

 まず、お疲れって一日を乗り切った時に使う挨拶である気がするのだけど、それを朝の出会いがしらに言われると違和感がある。



違和感②:

 「すぐ疲れる人」と「あまり疲れない人」を比較すると、後者の方が現代社会では優れていると思う。「お疲れ様」というのは、前者であることを暗に宣告しており、うるせえ! となる。



違和感③:

 こちらの領域に踏み込んできている。

 違和感をわかりやすくするために極端な例え話をするけど、例えば「貴方は30代ですね~」が挨拶だったら、こんな齟齬が発生するのだ。

「貴方は30代ですね~」
「そうだけど、なんでそんなことを君に言われる必要が? 30代だったらなんだって言うんだ?」
「え? いや、これは昔から使われてる定型文の社交辞令なんだから、そんなつっかからなくてもいいじゃないか」

 どうだろうか。これでも違和感がわからない人は、さらに「貴方は今から労働しますね」とか「貴方は100年以内に死にますね」とかにも置き換えて考えてみて欲しい。

 「お疲れ様」も、方向性としては同じなんだよね。他のあいさつと違って、こちらの領域に踏み込んでくるので、気に入らない人がいても当然だと思う。


違和感④:

 ネガティブで嫌。

 使ってる人は、「お疲れ様」という言葉はもはや「おはよう」と同程度に論理的意味を持たない感嘆詞(←調べたら、挨拶は感嘆詞なのだという)だと認識しているのであって、だからこそリプ欄でも「いや、それは社交辞令なのであって、疲れてるからお疲れ様と言ってるわけではないことがわからないのかな」という声が多いけど、個人的には、「ならもっと論理的意味を持たない挨拶であれよ」と思う。おはよう、よろしく、ありがとうとかはネガティブな意味を持たないけど、「お疲れ」ってネガティブな意味じゃん。

 英語にしたらこうだよ。

「you look tired」
「you look tired too」

これを毎日言い合う社会、生きづらくない?





 どちらかというと「お疲れ様」という言葉自体よりも、「でもこれは定型文の社交辞令なんだから、そんなつっかからなくてもいいじゃないか」と開き直る尊大な態度の方がキモい。

 この文章を読むと「お疲れ様と言うだけのことに、そこまで難しいことを考えないといけないのか」と思うかもしれないけど、そんなことはない。私がいま真にキモいと思っているのは「お疲れ様」と言う人ではない。「疲れているかどうかは私が決めるんだが」という意見への理解を放棄し、「定型文を言っただけでなんでそんなにつっかかられなければいけないんだよ」と集団で非難し、客観的な理屈でなく人数によって一方を狂人扱いする構造をキモいと思っているのだ。

 私は「お疲れ様」の意味について思いを馳せろと主張しているのではなくて、議論はフェアであれよ、いつだって自分の直感が間違っている可能性を疑い続けろよと主張しているのだ。


 そもそもね、こういう「ちょっと○○しただけなのに、そこまで怒らなくていいじゃないか」という構造、いつも齟齬があるんだよね。

 一方の視点からは、1回「お疲れ様」と言っただけでこっぴどく反論されたような理不尽さを覚えるのだけど、もう一方から見ると、1回「お疲れ様」と言われたら未来永劫「お疲れ様」と言われることが容易に想像できるので、未来の分を阻止する意味でしっかりめに反論しているのだ。

 そうやって未来の分まで先取りして反論してる場合もあるし、その逆で、過去の蓄積の分をまとめて反論してる場合もある。

 この「そこまで怒らなくても」系の齟齬は、あらゆる所で発生している。そういうとき、「おいおい、癇癪持ちかよ」と呆れる人は、本質が見えていない。

 そもそも、怒るという行為は、ストレス発散のためにそうしているのか、相手の振る舞いの改善のためにそうしているのか傍目にはわからないのだ。

 ↑どうして「キレ始めた」と言えるのだろうか? 大声を出したか、暴力を振るった? 怒りの感情はなくて、ただ相手の振る舞いの改善のために諭しただけという可能性もあるのに、どうして「キレ始めた」と言える?

 あと、「話が通じない」というけど、対話による相互理解を放棄しているのはどちらかというとツイ主では?



・おわり

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