【日記2023/10/3】人、ビール瓶に腰を振るニセフトタマムシ
・1900字弱
・書き散らし寿司
・現代において、友人がいる物理的なメリットってなんだろうなと思った。
・まず前提として、人類は500万年(ホモサピエンスの歴史に限定しても30万年)かけて今の身体が形成されている。
それに対して、日本で初めて法律らしきもの(十七条憲法)ができてから約1420年、自動車ができてから約250年、インターネットができてから約50年であることを鑑みると、別に現人類は、法や、自動車や、インターネットのある社会に完璧にフィックスされた体ではないと思える。
1420年というとえらく長く聞こえるけど、人間が20歳で子供を残す生き物だと仮定すると、1420年前は、たかだか71世代前だ。
巨乳のサムネイルを見かけるとついクリックしてしまうのも、体が文明についていけていない弊害だと思う。
ニセフトタマムシのオスは「茶色くてボツボツした物に欲情する」というアルゴリズムさえあれば正常に繁殖できていたのに、その環境にビール瓶という自然界に存在しないものが急に出現したので、トラップにかかっているのだ。
人間のオスも、つい数千年前までは「フィクションの巨乳」というのが存在しない環境にいた。そのため、「巨乳に発情する」というアルゴリズムがあれば正常に繁殖できていたのに、自然界には存在しない「フィクションの巨乳」が急に出現したために、トラップにかかっている。
フィクションの巨乳に金と時間を注ぎ込み続けると、生殖にも不利になることと思う。
虚構に向かって腰を振り続けるヒトオスは、ビール瓶に向かって腰を振り続けるニセフトタマムシのオスと何が違うというのだろうか。
・人の身体が文明に適応できていない弊害は他にもあると思う。
・私が最近考えているのは、現代において、友人を作る物理的なメリットって何だろうかと思っている。
「楽しい」というメリットは除外する。あくまで物理的なメリットがあったから「友人がいたら楽しい」という報酬系回路が後からできたのであって、それは本質的なメリットではない。
昔だったら、採集した食料をシェアしたり、荷物を持ちあったり、看病しあったりというメリットがあったと思うけど、現代社会の友人でそういうことってそんなにしないなと思った。強いて言うなら、金を貸し借りできるというのはあるかもしれない。
もしかしたら、いつか人類は、友人を作るメリットがゼロなのに、進化前のなごりで「友人を作ると、楽しい」という報酬系回路だけ残って、ビール瓶に腰を振る虫のように、いたずらに交友に勤しむという、バグを抱えた生き物になるかもしれない。友人を作るメリットがゼロになることはないと思うけど。
いまは性欲と交友欲にのみフォーカスしたけど、他にも、考え直してみたら「これ、文明の発展についていけてないな〜」と思うような報酬系回路のバグはあることと思う。
・この前、大型トラックを運転できる知人が、その知人の友人の引越しを手伝ったという話を聞いて(←この話は嘘松だけど、まあいいでしょう)、なんか他人事なのに本能的な喜びがあったな。「一芸に秀でていて、その一芸で自分のことを助けてくれる友人」、熱い気持ちになる。
友人がいることによる物理的なメリットを享受したとき/提供できたときに、本質的な喜びがあるなぁ……と思っている。逆に言うと、それ以外の交友にはどこか空虚さを覚えることがある。
私の中の猿の部分は、「ネットでたくさん会話した人より、重い荷物を持ってくれた初対面の人の方が好きになるかも~」と言っている。
私の、猿以外の部分は、現代社会を心地よく思っているけど、猿の部分が、狩猟採集時代を欲している。
・という今の考え方は創作物にも応用可能で、美しい友情を描こうと思ったら、言葉で励まし合うだけの友情ではどこか空虚になってしまうので、そこには物理的な助け合いが伴わないと、読者の心の猿の部分が喜ばない気がする。映画Stand by Meを思い浮かべながらこの文章を書いています。
というか、物理的な助け合いさえあれば、言語が通じないキャラクター同士でも友情を描けると思う。小説プロジェクトヘイルメアリーを思い浮かべています。
・おわり
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