川柳は「あるある」の共有手段であった

・1300字強


・最近は江戸に関して、本やネットで調べものをしている。

 当時の文化を説明するのに川柳がよく引用されるの、良いなあと思った。当時の人からしたら、「あるある」を共有しあって楽しんでいるだけなのだけど、その句のおかげで現代でも当時の生活のディテールがわかるの、美しいな。


 例を挙げる。

女湯の喧嘩片手で掴み合い

 女湯で喧嘩が発生したとき、片手で局部を隠すので片手での喧嘩になったというのはあるあるらしい

古椀を買っても食える花の江戸

 古椀を買い取って再生させるだけの仕事でも食っていけるなんて、さすが江戸だという句。逆に、田舎ではそのような仕事で食っていくのは難しかったことがわかる。

たが掛けは飛びつくような声を出し

 たが屋が桶などを直している際、まるめた竹の先が思わぬ方へ跳ねるので、たが屋は「おっ」とか「よっ」などと声を出してしまうらしい。

 これ、マジでどうでもいいあるあるな分、空気感が ”良” すぎるな。マジで”””良い”””句だな。

 茶代が六文惚れ代九十文

 飲んだお茶は約150円ほどなのに、追加で2250円ほどのチップを置いて帰るほど茶屋の看板娘に惚れていたという句

読売のまだ相節の揃いかね

 新聞を売るために二人で歌いながら売り歩くのだけど、不慣れなうちは歌が不揃いだという句

西瓜食う娘の口の難しさ

 着物を汚さぬよう、大口を開けぬよう西瓜を食べる娘という句


 私は俳句の良さはあまりよくわかっていなくて、「五月雨を集めてはやし最上川」とか聞いても「うんそうだね」くらいにしか思わないのだけど、川柳は「あるある」なので好きだな。

 私もここで「あるある」を575に落とし込むことで、300年後の時代考証に貢献しようかな。

割引で 買ったはいいが お蔵入り

言い訳は 「経済回す」 回し過ぎ

すぐわかる 作り笑いは 「んへへへへ」

課金ガチャ 乳首で回す オタクども

はよ欲しい エウマクナール あっ小林

AIに 絵柄真似られ 騒ぐ絵師

米国で おつかい文化 大バズり

最近の モザイクアート インチキだ

オモコロ杯 もの作る記事 長いがち

どの時期も 二人は流行る 裸芸

 パッと10句ほど思いついた。

 それぞれについて解説したい所だけど、解説しないと伝わらない句というのは、575に情報量を詰め込み過ぎているか、あるいは「あるある」としての共感性が低いか、それでなくても私の表現力不足によって伝っていないのであって、それを解説してしまっては川柳である意味がなくなってしまうので、伝わらないものに関しては諦める。

 川柳に 解説挟む 野暮野郎

 みなさんも、ネット上であるあるを言いたいときとか、昨今のバズニュースの話をしたいときは575の形にしておくと、300年後の歴史書で引用されやすいです(本当にそうか?)。


 例えば、タピオカの写真だけ撮って捨てるギャルがざらにいたなんて300年後の人間は信じるだろうか? 

 タピオカの 写真を上げて 飲まず捨て

 300年後の人間の反応「あー、いつの時代もこういうアスタっているんだよな。今でも位軒の尚ナゲを3Dモストするだけで全然かりさあわないアスタってよくいるもん」


・おわり

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