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恥ずかしくて言えなかった私の夢だったのに

私は作業療法士です。ただ、今は産休、育休のため現場から離れています。離職中です。現場で働いていた頃、一番楽しかったことは、小児リハでした。

私が就職した病院は、成人のリハビリだけでなく、小児リハにも力を入れているところでした。若気の至りと言いますでしょうか、、勢いだけで就活し、内定をいただいたので、小児があることを知りませんでした。


私は自分自身のことを子供好きと思ったことはありませんでした。子供は嫌いではないし、可愛いと思うし、どっちかって言えば好きな方でした。

そんな社会人1年目の私に、担当小児を持たせてくれるというお話をいただきました。前任の先輩が、移動されるということで、その引き継ぎという形ではありましたし、なんせ就職してすぐの5月だったので、とんでもない重圧を背負ったのを覚えています。

日々試行錯誤し、先輩に相談、助言を頂いたり、勉強会に出向いてみたり、無知ながらもがむしゃらに子供と向き合っていたと思います。

初めの頃は、何かしてあげたい、今回のリハで変化を、結果を残さないと、という気持ちが大きかったのですが、実際のところ、私が何かしてあげられることはそんなになく、子供の成長・発達を見守る役目であり、なんなら私が成長させてもらっている、あくまでも主人公は子供なのだということを身をもって知った時に、ものすごくやりがいを感じたのを覚えています。

今は、妊娠・出産を経験し、母親という立場としての視点を持つこともできました。毎日子供と一緒にいても、やっぱりまた子供と関わりたいなと思うようになりました。

すごく恥ずかしいのですが、私には夢があります。高校生の時に「いつか不登校の子と関わる仕事がしたい」と思いました。私は思春期の頃、学校に行きたくないけど休む勇気がなく、行くという手段を取っていた子供でした。行きたくない理由は、「学校がつまらない、行く理由が見つからない」でした。友達、勉強、行事、、全てが苦痛でした。思春期のどうにもこうにも表現できない「もやもやとした気持ち」がそうさせたのかもしれません。

学校に行きたくない、行かない理由は人それぞれですし、行かない選択肢はなぜないのだろうと思っていました。学校に行くことが当たり前、行かないことで心配され、怒られることもあります。

学校に行きたくなかった理由を話すと、「どんな子供だったの」「親の教育が、、」と思われたりするのかなと、話したことを後悔してしまいそうになります。いたって普通の子供でしたよ。

ですが、今まで送ってきた日常生活全てに後悔はしていません。学校をつまらないと感じていたことも、ズル休みをした日も、学校を楽しいと思えた専門学校時代も、全部全部なくてはならない成長発達の過程だったのだと捉えています。

だからこそ、大人になった今、もう一度強く思うのです。

今の私に何ができるかはわかりません。もしかしたら何もできずに終わってしまうのかもと思うこともあります。

ですが、先日1歩踏み出しました。今まで、旦那と、友達にしか言えなかった私の夢の話を、前職でお世話になった先輩に話しました。自分で思っているだけではもうダメなのだと、強く思い、どうにかしなくてはという気持ちに掻き立てられました。

「やっぱり言わなければよかったかな」と言った後に後悔してしまったくらい、恥ずかしくて、恥ずかしくてたまらなくなりました。その方なら、私の夢を笑わずに聞いてくれるかな、と勇気を出して言ってみたのですが、、


結果は、逆に褒めてくれて、応援してくれて、心配してくれて、今できることを提案してくださりました。

話したから、今すぐに何かが変わったわけではありません。まだ何も進んではいませんが、自分の中で何かが変わりそうな感じがしました。

可能性が無限大な尊い存在の子供の未来を守りたい、成長を側で見守りたい、その思いをこれからも大切にまた1歩踏み出そうと思います。

この思いがどなたかに届きますように。



#一歩踏みだした先に

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