なんでもいい

自分の意思を持て

みたいな言葉にとらわれすぎていた気がする

自分の意思。
例えばそれが

『この場が円滑に進むように、多数派の意見につこう』

みたいなことでもいいと思う。

自分の意思って、この事柄についての自分の意見を持とうというものではなくて
その事柄に関して、どう考えてもどうでもいいって思っているなら
『この場が円滑に』
という意志を持てばいい気がする。

どんな結論になろうが、スムーズに事が進むことが
自分にとって大切で
どんな結論になっても自分はかまわないという意思

食べたいものを聞かれて
『なんでもいい』
って答えるのが良くない。みたいな風潮があった。

自分の意志で決めろと。

でも、一人で食べるご飯は、自分の意志に従ったほうがいいと思うけど
誰かと食べるご飯は
『なんでも(一緒に食べれれば)いい』
と思う

我を貫くことだけが大切でもない

このひとに、従おう
新しいものに挑戦しよう

って自分で決めることが大切なんだと思う。

どういう意図で、それを言ったかみたいな


ずっと、自分の中の軸はブレブレでみたいに思っていたけど
一人ですることは自分の好きなようにしたいけど
誰かとすることはその人が楽しいと思うことが大切
と思っている。

それは他人軸で生きているのではなくて

自分はそうやって自分の中で決めているということ


ただそれだけ。


何かをする
何かを決める

そんな時ばかりではない

ただいる

そんな時の方が多いかもしれない


今日もまた、なんでも(一緒に居れるのであれば)いいやって思う関係が続いている


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