最後の日。
義理の父がすい臓がんだとわかったのは、去年の今頃だった。
淡々と、すい臓がんが見つかった。と教えてくれた。
今年の3月。抗がん剤を始めた父は、顔色が悪く、痩せていった。
だけど、声はまだまだ元気で、気もしっかりしていた。
今年5月、余命があと3か月だと告げられた、と知らされた。
確かに、そのころにはもう、顔色も悪く、父はかなり痩せていた。
7月、父は抗がん剤をやめた。
9月、すい臓の痛さを取るため、神経を切る手術をした。
「このままあと3か月は生きられると言われたから、俺はもしかしたら年を越せるかも知れん」そう言っていた。
余命3か月と知らされた7月、あまり実感が湧かなかった。
私の中で、医者は本当の余命よりも短めの余命を言うと思っているところがあったので、父はあと半年元気だろうと思っていた。
夫が多少なりとパニックになりつつある中、私は黙って父に電話した。
『お父さん、大阪に来て住みませんか。家を借りようと思います。ワンルームを借りて住むか、私たちと一緒の部屋で暮らすか、どっちがいいですか。』と聞いた。
父は、どちらも嫌だと言った。
「好きにさせてほしい。誰の世話にもなりたくない。最後は病院に行くから。放っておいてほしい。」嫌な口調ではなかった。
『じゃぁ、お父さんが好きなように暮らせるように私は精一杯応援します。でも、心細くなったらいつでも言ってください。』そう伝えた。
父も、「わかった。ありがとう。いよいよになったらお願いすることにするから。」そう言ってくれた。
でも、後から考えてみると、それは完全に父の社交辞令だった。
「俺、いよいよやと思うから。」なんて、誰が言えるだろう。
『お前、そろそろちゃうか。』なんて、誰が言えるんだろう。
言えるわけがない。
最後の日。夜8時にお風呂場に綺麗に洗濯物を干し、一階の居間でいつものように横になり、そのまま午後10時、父は息を引き取った。
苦しんだ様子もなく、寝ているように、旅立ったということだった。
私は末期がんの父を最後さみしく、一人で死なせてしまった、ひどい嫁だ。
きっとそう非難する人だっていておかしくない。
でも、自己満足のため、世間体のために父の意志を無視することはできなかった。どういう心境だったのか、どういう心情だったのかは誰にもわからない。
でも、父は最後の日までしっかり生きて、きちんと自分の生活を送り、文字通り生き切った。見事な最後だったと、本当に思う。
本当のお父さんじゃないけど、格好いいお父さんだった。
生前、「この花屋で仏花は買いなさい。」と言いつけられた花屋がある。
死なれてしまった今、その言葉を裏切る術がない。
私は、父のために、あの花屋で花を買いつづける。
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