Goodbye 30, and Hello 31.

今日、31歳になった。
つまりは、30歳が終わったのだ。

不安大、期待小で30歳になった1年前、とくにこの1年は失われた物が多かった。
お別れをした人がいなかったのが幸いだが、Covid-19のおかげさまをもって様々なイベント・行事が延期・中止になった。
もちろん、それは仕方の無いこと。ただ、まがいなりにも青少年教育に携わっている身としては、子ども達に何もしてやれなかったという悔しさは残る。

個人的な部分では、浮いた話もなく、大きな変化はなかった。
ただ、10月くらいからメンタル的に限界が訪れ、仕事を少し抑えた。
そして4月くらいにまたここかいろいろ限界がきて、2度目の異動願いを出した。
7月から所属が変わり、やることも変わるはずだが、まだ引き継ぎで全然変わらない日々を歩んでいる。

そして、もはや30代2年目ともなると、誕生日というのは平日で有り、若干忘れかけていた。
昨日なんか「あ、明日誕生日か…」と夜思い出す始末。
真理ではあるが、寂しい限りだ。

ここまでが朝のもふぴが書いた内容で、ここからは白ワイン1杯なのに泥酔した、夜のもぷぴが内容を書きますです。

ともすれば、誕生日という物は子供が健やかに育ったことをお祝いする行事なのかも知れない。
だとすると、肉体的に大人になったわたしは、実はお祝いをするとかそういう物ではなくて、ただひとつ年を取ったことを静かに振り返り、これからを考えるための時間なのかも知れないと思った。
ありがたいことにSNSではお祝いを言ってくれる方もいらっしゃり、とりあえず顔本(この言い方がすでに死語だよね…)にはお礼のコメントを上げた。
リアルでは事務所が若干クラスターになりぶっちゃけそれどころではないし、ボーイスカウトの子供たちのプログラムをわちゃわちゃするのに精一杯だし、そもそも仕事の引き継ぎでわちゃわちゃしていて、「わちゃわちゃが過ぎる!!!!!」と言いたくなるほどには充実していると思う。
そして夕ご飯をアホほど豪勢にして、明日への活力にするのが精一杯だった。
いつもなら、どこかのレストランに行って夕食くらい食べてくるのに。コロナのバカヤローーーーーー。

さて、これから31歳のもふぴとなるわけだが、すぐに変わる変化は多分無い。
何かが新しくできるようになるわけでも、できなくなるわけでもない。
それは日々が連続していることを知ったから。
こういう「世の中の真理」みたいなのを感じるようになるのが、大人になるってことなんだろうか。
だとしたら、あたしはやっぱり子供のままが良い。
小林幸子の歌じゃないけど、早く大人になりたいと思うこともあれば、まだ子供で居たいと思うこともある。もう一度子供に戻りたいとも思う。
それが無理なことも知ってる。

これからは新たなステージで、まるで赤ちゃんみたいな状態になる。
1年前に書いた慢心という熟し方をした実は、再びちょっとだけ青く若くなろうとしているように見える。
ここを若くできて、さらなる熟成ができたら、きっと見える景色が違うだろう。そうすれば。新しい何かが見えるんだと思う。
そう信じて、また1年、歩いて行こう。

As long as you're green you're growing, as soon as you're ripe you start to rot. -Ray Kroc
青い実である限り成長する事ができるが、熟した実は腐り始める。-レイ・クロック

慢心という物で熟しかけた実をもっと青くして、さらなる熟成を引き出すことができるか。
31歳。ここが正念場な気がした。

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