ルートB

 明日地球が終わるとしても、花は美しく咲くのだった。夕暮れの桜並木の連なる駅前の道を走ってくるスーツ姿のお前を、特に何の感慨もなく見つめていた。
「ごめん、待った?」
「いや別に。てか待ち合わせしてへんし」
「もう、そんなこといわないで」
 連れ立って歩く速度は、数年ぶりでもぴったり同じ拍を刻んでいる。お前の左手薬指にはきらきら輝く指輪が嵌まっている。
 明朝、地球は終わる。SDGsだとか地球温暖化対策だとか、そんな涙ぐましい人類の努力を嘲笑うかのように、ただ一発の隕石であっさり地球は消滅する。
 駅から俺のマンションまで向かう徒歩五分程度の道は、数年前、数え切れないほど二人で歩いた道だった。かつてはそれなりに人通りのあった道のりは、今は人っ子一人いない。青果店やほっともっとは、臨時休業の四文字だけでかたくシャッターを閉ざしていた。みんなお家にこもって、家族と最後の晩餐でも楽しんでいるのだろう。普通はそうする。こんな異常事態でも、“普通”なんてものがあるのだと少し面白くなった。
「ひさしぶりだね」
 お前は少し照れたように笑う。よく会っていた時期、高校から大学にかけての時期と比べたら、少しだけ後退した生え際と、柔らかくなった笑顔は、今でも変わらず愛おしかった。
「かわらないね、珊瑚くんは」
「お前は大胆になったなあ。嫁と子供ほっぽり出して昔の男に会いに来とる」
 マンションのロビーを開錠しながら、俺が少し意地悪を言うと、お前は眉根を下げて困ったような顔をする。罰が悪そうに左手を隠す。
「冗談や。上がって」
 そんなに不安そうな顔をするからいじめたくなるのだと、高校時代から言っているのに。明日死ぬと言う時になっても変わっていないことに、俺は少しだけ安心していた。
 
 
 
 全寮制の高校で、俺たちは出会った。
「お前、上京勢?」
 入学してすぐに二人部屋をあてがわれて、大荷物を抱えてやってきた相方があまりにモサかったものだから、俺は思わず開口一番そう聞いてしまった。そんなメガネは普通中学一年生で卒業するだろ、みたいな分厚いメガネに、ボサボサの頭は、いかにも勉強だけしてきましたという風貌だった。すらっと高い身長を全部殺すようなダサい学ランの着こなしも、ちょっと信じられないレベルだった。
「いや……東京だけど」
 四国の片田舎から上京してきた俺としては、関東地方に対して多少なりとも憧れを抱いていたから、衝撃を受けた。
「ふうん。メガネやめたほうがええと思うけど」
「そう?」
「うん」
 その日はそれだけで会話は終わった。ああ嫌われてしまったかなと思ったのだけれど、次の次の日の朝、いきなりお前がコンタクトレンズを入れていたから、少しだけこいつは面白いかもしれないと思った。
 
 セックスをはじめたのは、高校二年生の夏休みだったと思う。互いに実家に帰らなかった。
 八月だった。部屋の小さいテレビでお前がつまらない映画を見ていた。確かスプラッタ系のホラー映画だったと思う。ソファーの隣が空いていたから、無言で座った。
「趣味悪」
 飛び散る臓物をしばらく眺めてから、俺がそう呟くと「じゃあ見なくていいよ」と拗ねたようにお前は呟いた。そう言う反応が面白くて俺が言っているんだってことに、お前は結局ずっと気づいていなかった。
「よくこんなもん見ながらフライドポテトとか食えるな」」
「美味しいもん」
「匂いだけでもキツいんやけど」
 画面の中では死期が近づいてきたことを悟った男女が、暗い倉庫の中かどこかで、熱いキスを交わしていた。
「こいつら死ぬな」
「死ぬねえ」
「パターン入ったって感じするわ」
「言うほど映画見てないでしょ」
「うるさ」
 入学してすぐにコンタクトに変えて、髪型を整えるようになって、お前はずいぶん垢抜けていた。それに応じて少しずつ、俺に対しての態度も大きくなっていた。
「なんでこう言う時ってセックスするんだろうね」
 男女は服を脱ぎ始めていた。少しだけ居心地悪そうに、お前がみじろぎをする。
「さあ。子孫残したいって本能なんやないの」
「そっか」
 本格的に二人が絡み合い始めた。さすがに見ていられなくて、ふとお前の横顔に視線をやる。同じことを考えたらしいお前と目が合う。
 普段当たり前に使っていた二人がけのソファーが、たいそう狭いことに気づいた頃には、映画のエンドロールが流れていた。
 
 
 
「いまだに家具全然ないんだね」
 俺の部屋にあがるなりお前は言った。はじまりがなし崩し的だったからか、高校を卒業してお互い違う大学に進学してからも関係はだらだらと続いていて、大学の頃にも何度もこの部屋で二人で会っていた。
 俺は掃除ができないから(実際寮時代にも、それでなんども寮長に怒られた。とばっちりを食ったお前と喧嘩するまでがセットだった)ベッド以外にほとんど物をおいていなかった。学生時代から住んでいるから、大して広くもない部屋だけれど、がらんどうのそこは妙に寂しい。
「女の子いっぱい連れ込んでそう」
 冷やかすようにお前が笑う。俺はそれには答えずに言う。
「アレみたいやんな、セックスしないと出られない部屋」
「珊瑚くんそういうオタク語彙みたいなの知ってるんだ」
「お前が大学時代言うとったんやろ」
「そうだっけ?」
 覚えてないや、とお前はへらへら笑って、適当なところに持っていた鞄を置いて、薄手のコートを脱ぎ散らかす。フォーマルなスーツ姿が現れる。
「なに?見惚れてるの」
「いや……初めて会った時はあんなダサかったのになあと思って」
「その話やめてよ」
「もう脱がしてええの?」
「だってもう時間ないよ?」
 高そうな腕時計をお前がちらりと見る。時刻は18:37だった。隕石衝突予定時刻までは、あと六時間もなかった。
 
 
 
 もう会えないとお前が言ったのは、大学四年の二月だった。
「入籍したの。卒業したら結婚式あげるんだ」
 ピロートークで言うことやないやろ、と俺は思ったけれど、眠そうな目で一生懸命お前が喋っているから、聞いてやる他なかった。
「彼女おったんや」
「珊瑚くんだっているでしょ。バンドやっててモテモテだって聞いたよ」
「もうやめたわ」
「ああそうなの?好きだったのに」
「どの口が言うねん、既婚者」
「ごめんて」
 彼女なんていなかった。いても長続きしなかった。可愛い女の子たちは、どうしても機嫌を取るのが面倒で。呼べば来る、呼ばなくても勝手に来る、来てはただ甘やかな時間をだらだら過ごさせてくれるだけのお前に甘えていた。
 桜の咲く頃、お前は小さなチャペルで結婚式を挙げた。元々スタイルが良かったから、タキシード姿もよく似合っていた。もしもあの時、あの春に、俺が何も言わなければ、お前はまだ分厚いメガネをかけて髪もボサボサの、冴えない男のままだっただろうか。
 
 
 
 外はもう真っ暗だった。ベッドの上でぼんやりしているお前に、コップいっぱいの水を渡す。ありがとうとお前が掠れた声で言う。あまりに昔と変わりなくて、ぽっかり空いた数年間の空白も、そして明日からはそれらが跡形もなく消えて無くなることも、なんだか信じられなかった。
 ぐるる、とお前のお腹が鳴る。恥ずかしそうに「お腹すいちゃった」と笑う。
「嫁さんと、子供と、最後の晩餐食う予定やったんちゃうの」
 床に脱ぎ散らかされたスーツを俺が顎でしゃくると、また罰が悪そうにお前は目を逸らした。
「今頃お前はドレスコードがあるようなレストランで、幸せなひとときを過ごしているべきやったんちゃうの」
 こんな昔の遊び相手と、冷蔵庫も空っぽで水しか出せんような男と、何にもならんセックスするんやなくてさ。
 お前は少しずつ泣きそうな顔になる。高校時代と何も変わらなかった。顔を覆う手には、指輪。
「フライドポテトが、食べたくなって」
「は?」
「覚えてない?あの日、一緒に映画見てた時、食べてたやつ。そう思ったら、いてもたってもいられなくって」
「それで呼んでもないのに来たんや」
「うん」
「バカやなあお前」
「うん」
「呼んでもないのに、待っとった俺も」
「うん」
 喉の奥が熱くなる。涙があふれそうで、ダサいなと思った。
「服着ろや、買いに行こう」
「え?」
「コンビニいくつもあるから、どっかポテトくらい売っとるやろ」
「そんなわけない」
「あるわ。だってお前、ここまで来たもん」
 確かに俺は今日、奇跡を待ち望むような思いで、駅前に立っていたのだと思い出した。もしかしたら、結婚して子供もいる昔のセフレが、地球最後の日に愛に来るかもしれない。もしかしたら、フライドポテトをいまだに呑気に売っているコンビニがあるかもしれない。もしかしたら、明日奇跡的に隕石がそれて、これからも生きていけるかもしれない。
「おおげさだよ」
「うるさい。はよ行くぞ」
 お前と一緒に桜並木の連なる下を歩いて行こう。明日なんてないからこそ、美しく咲く花がある。フライドポテトが見つかるまで、宇宙の果てまで二人でいよう。


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