努力とは(第一編)

先日、非常に優秀な友人にくまくんは、努力が上手だよねと言われ嬉しかったので、今日は努力ということについて語りたいと思います。
努力とは何でしょうか。

努力
力をこめて事をすること。あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと。また、それに用いる力。(コトバンクより)

いまいちパッとしない定義でありますね。特に、休んだり怠けたりしないという所が自分には違うように思う。

社会人になると自分が主観的に頑張ったかどうかではなく、あなたが期待された役割を果たしているかが重要だ。などという言説を聞いた事がありますでしょうか。いやに耳に痛い文章ですね。また、難関試験やプロの世界などにおいては数字(結果)が全てであるなどと考えられているように思います。他人は結果の出ていない人間に全く見向きしてくれません。

ここで、私たちの間で仮にではありますが、努力とは数字を出せる事と定義したいと思います。これは約束でもあります。すると、結果の出ない行為、数字を出すことに繋がらない行為は当事者にとっていかに苦痛であったとても努力ではないことになります。

従いまして、コトバンクにあるような「休んだり怠けたりすることなく、務め励む事」は文字通り受け取るならば結果の出ない行為であり、私たちの間では努力ではないということになりそうです。

では、改めて努力とは何を指すのでしょうか。努力とはただ頑張ることではなく、もっとクリエイティブな人間的行為であると考えております。例えば、自分の強みや弱みを認識して強みは伸ばして弱みは最低限までの所に持っていくという一連のプロセスです。つまり、努力とはよく頭を使う事なのです。

自分は大学在学中や国家試験の勉強中に卓越した成果を出す人々を発見し、彼ら彼女らがここでいう努力を呼吸をするが如く自ずから行い、かつその事に本人は自覚がないんじゃないか、と思うよう人を幾人も見つける事がありました。私は彼ら彼女らを発見した時、その精神、その性質に非常におそれ、おののきました。怖くてしょうがなかったのです。最初、人間じゃないと思いました。勿論、自分はそのような人間では全く無かったため非常に驚きました。

しかし、今では、
むしろ努力をする事こそ人間的な行為なのではないかしら。と思われてくるときもあります。

結論として、自分にとって努力とは非常に懸命な意識により生ずる活動であると言えそうです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?