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母へ

きのうは誕生日だった。幾つになったのかはナイショ。

お誕生日は祝わない家庭で育った。だから、誕生日と言っても特別な思い入れはない。ああ、また誕生日が来たんだなって、それくらい。

病院に勤めている。大きな病院だから、一日中ひっきりなしに患者さんはやってくる。電話もかかってくる。なにかしらいつもバタバタと動いているけれど、時々静かな時間がある。

そんなある日の午後、少しぼんやりと外の景色を眺めていた。

一台の高級スポーツカーが車寄せに入ってくる。運転席から降りてきた男性はサングラスを外して頭にすっと載せた。若いけど、やり手の実業家という雰囲気の男性に赤ちゃんを抱いた女性が近づいていく。

その日は産後2週間目の赤ちゃんの検診がある日だった。二人はご夫婦らしい。二人の初めての赤ちゃんなのだろう。車から降りた男性も女性に気がついて近づいていく。女性の腕から赤ちゃんを受け取る手つきはまだ危なっかしい。

新米パパは、ぎこちない仕草で、でもそっと赤ちゃんを後部座席のベビーシートに寝かせ、なにやらごそごそとセッティングしている。赤ちゃんにシートベルトをかけて、具合良く収まるようにしているのだろう。

赤ちゃんをベビーシートに乗せたあと、窓から強い日差しが赤ちゃんの顔に当たらないようにサンシェードを窓とベビーシートの間に挟み込み、まだなにかやっている。微妙に調整してるらしい。

やっと準備ができたか、パパは運転席に乗り込む。ママはもうとっくに後部座席に乗り込んで待っている。パパがシートベルトを締め、車のエンジンがかかる。パパはアクセルを踏む前にもう一度後ろを振り向いて赤ちゃんを覗き込む。

車の窓越しに見える若いパパは、後部座席に座る若い妻となにやら笑いながら話していたが、そのうち車は静かに動き出し、そろそろと病院の玄関を離れていった。

車が入ってきてからずっとその一部始終を眺めていたわたしも我に返る。あの夫婦のところに生まれてきたあの子はきっと幸せになるだろう。パパはいつも君のことを振り向いて、ママと顔を見合わせ笑いかけるだろう。

わたしの生まれた日に、父は喜んだのだろうか。母はわたしが生まれた日のことをどんな気持ちで迎えたのだろう。

わたしが生まれた日にはまだ、あの若いママのように若かった母もおばあちゃんになった。母はわたしがきのう誕生日だったことを覚えていただろうか。

母さん、わたしは、またひとつ歳をとりました。わたしが生まれた日はあなたにとってどんな日でしたか。



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