僕のガチ恋を君に捧ぐ

"本気(ガチ)"で"恋"している"オタク(ファン)"のこと。
ファンの域を超えて本気の恋愛感情を抱いてしまった状況を指して用いられることが多い。
インターネットより引用

近年急上昇ジャンルVtuberにおいてもよく見られる光景かと思う。いや、知らんけど。
芸能ジャンルと違い配信者はリスナーとの距離が近い、と思う。それがよりガチ恋を加速させるように思う。いや、わからんけど。

どんな人にもファンがいるように、どんな人にもガチ恋はいる。そう、私のファンにもなんでかいる。なんでなのかは「おたくってちょろいから」としか言いようがない。
今思えばガチ恋だったのかもしれない私の推しことまさやすさんへの感情は、気持ちの悪い私のガチ恋おたくを見るたびに私も気持ち悪かったんだろうなと思う。いや、本人に伝えてないから私のほうが断然マシなはず。

ガチ恋をやってるとそれってどこまで本気?みたいな野暮な質問がよく飛んでくる。傍から見れば異常な、いわゆる手の届かない存在に対しての恋愛感情は報われず、虚しい。そんなことは、己が、おたくが一番わかってる。
結ばれない、永遠の片思い、気づかないふりして奥の奥の奥底で誰よりもわかってる。わかっちゃいるけど、本気で付き合いたかったしワンナイトよろしく一夜限りでもいいから関係を持ちたい人生だった。私はみんなとちょっとベクトルの違う気持ち悪さかもしれない。ほっといてけれ。

考えてるうちに、ガチ恋と推しの違いって自我の位置の違いかもしれないなとふと思った。
推しを前にするとさ、恐れ多いじゃん。私なんかがって思う。隣に並ぶのも話すのも、同じ空気を吸うこともためらわれるほど推しの存在って尊い。
でも恋はそうじゃない。あわよくば見てほしいし、網膜に映れるもんなら映りたい、認識されて、手とか握ったりなんかしちゃってほしい。欲だらけな自我が前のめりになる。世界はこれを恋と呼ぶんじゃねえの?
それでも、そう思っていても幸せを願わずにはいられない。ガチで恋したって推しは推し。別の誰かと結婚しても、どうか幸せでいてほしい。
という感情がガチ恋なんじゃないのかとかうまいこと結論づけようとしたやさき、本日星野源さんと新垣結衣さんの結婚が発表された。
私は2年前に推しが結婚したことを思い出して、お祭り騒ぎのSNSやニュースのすみでまだお祝いに加勢することが出来ずにいるファンの健康を祈った。

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