生きる意味

こんにちは。萌えみのりです。私は所謂Vtuberで3D の体で活動しています。主に上半身で。
活動開始にはなかった個人配信が途中から始まって、私は週3月水金で固めた個人配信通称のりのれ(萌えみのりの好きになってけれ!というタイトル?)を欠かさずやってきた。やりたくないときも、へこんでるときも、雨の日も風の日もやってきた。それ以外に活動の場をしらなかったからだ。そして心の拠り所でもあった、と思う。始まれば楽しかった。話すことがうまいわけでないが話すことがとても好きだ。そもそも人に話を聞いてもらえることって幸せなことだと思う。のりのれは私の居場所でぬるま湯で、私そのものだった。

個人配信を始めて以来休んだことのなかった配信を先月、8月いっぱい休んだ。理由としては新しいネット環境の回線開通までに時間がかかってしまい物理的に配信が難しいのということなので少なからずいるファンは納得したと思う。
私はチャンスだと思った。配信が軸であった私から配信をとったらどうなるんだろうって。
初めて私のnoteを読む人にも説明すると2018年の11月から企業勢として活動しているが思いのほか伸びずたいした人気もないままここまできてしまっているというのが現状だ。あけすけに書きすぎているが事実なので誰もフォローのしようがない。
自分の力不足を痛感しては向いてないと思い、活動の一切をやめたくなるのだ。

そのくせ未練たらたらで、呟かない日はあってもTwitterを見ない日はほぼなかったしなんならnoteにいた。Twitterのかわりにnoteを抱いていた。noteにはひどいことをした。好きだよnote。話はそれたがTwitterでは最後の悪足掻きのようにクレヨンしんちゃんとあちこちオードリーの宣伝をしていた。今思えば一切合切シャットアウトして向き合えばかっこよかったのだけれど、出来なかった。この行動こそが答えのような気もした。

“意味がない”ことが怖かった。
活動の意味、存在の理由、これからの自分、何故配信をするのか。

意味がないといけないような気がした。まわりを見渡せば煌めいて輝く楽しそうにしている配信者を見るたびに今後の展望や目標があってファンを盛り上げていた。そういうことがないとダメだと思っていた。理由をずっと探していた。私が配信する意味は、理由はどこにあって何なんだろって。
自己満足でもいい、楽しいから!なんでもよかった。理由があれば配信を続けられる。意味があれば生きていける。ずっとそう思っていた。
でも意味なんかなかった。理由もとくにない。配信をするのに意味も理由も、私にはなかった。

何が転機かわかれば劇的な感動noteになったかもしれないのだけれど本当に覚えてなくておそらくそうなれたのは多くの時間と経験だと思う。萌えみのりとして生きて間もないうちにたくさんのことがあって野原しんのすけの声も変わったしまさやすさんも結婚した。
悲しいけど事実を認めよう。認めることができるようになった。知らないうちにずいぶんと大人になったと我ながら思う。この表現が正しいかはわからないが変わったなと思う。
人気もない、プロジェクトとして成功していない、認めよう。
人気が欲しいなら欲しいなりの努力をしなきゃ!ということもわかっている。でも努力する気がない。認めよう。
工夫がなければ素人同然の配信だと思う。画面に美少女が映ってはいるがやってることは雑談なのでそのへんの素人と変わらない。認めよう。
そもそもプロなんかじゃない。認めよう。
認めることでようやく少し自分に優しくなれた。
意味がないことに怯え理由を探してさまよって途方に暮れた日に比べればなんと清々しい気持ちだろう。
私は変わらずに素人配信を続けている。意味なんかない。
なくていい。確固たる意味も理由も今はまだない。それを認めよう。
私の配信に意味を見出しているファンがいるとしても、それでも、私にとって私が配信することに大した意味も理由もない。
みんなへあげられるものは特にないと思う。でもいい。今はもう生きることに意味がなくてもいい。意味がなくても生きていいよと私が先陣切って生きていく。悩んでる人に届け!とは思わないがどうか下には下がいることに安心して生きてほしい。

この活動に意味がなくても、生きてもいい。存在理由がなくても、生きてもいい。なにもないことを認めよう。
およそ企業勢とは思えない志の低さを武器にして生きていこう。失敗してしんだらすまん。
そんな活動のなかで最も誇れることがある。
どんなときも支えてくれたファンのみんな…ではなく
世界でただひとり、岡田コウ先生にフォローされているVtuberは私だけなのだから(2020年9月21日現在)生きて、ヨシ!


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