創価教育学体系 ※己が無知であるという事しか書けないが長生き出来そうもないので書くか。

緒言

古代の傭兵の様に、己が領分である教育社会にも一顧されない様な旧来の教育学を棄て、新しい教育学を実証的、科学的に蘇生せしめて、実際の教育生活に密接なる関係を保たせようとしたのがこの創価教育学である。その価値の如何はともかくも、すでに一個の知識体系として此の学説を提供した以上、最早躊躇は許されない。僭越ながら余は少なくとも左の五箇条だけは、真面目に読者諸君の叱正を仰いで一日も早く我が国の教育改善に資したいと願うものである。正邪の判断と社会的共同生活とを実践によって指導すべき位置に居る教育者諸君の広き雅量に向って殊に之を切望する次第である。

創価教育学体系 Ⅰ 牧口常三郎著 聖教文庫


古代の傭兵の様に一顧されない
使い捨ての印象、それ程に返り見られない旧来の教育学。(昔から教師の賃金面等待遇はあまり良くなかったのだろうと思います)
新しい教育学を実際の教育現場で実験、観測し得られた結果、経験を体系化させた知識。
理論のみではなく教育現場で実践(一辺倒ではなく柔軟に)していくのが創価教育学。
教育する立場に居る方々が持つ開かれた探究心へ一助となる材料、動機として役立つ様切望するものである。

正邪の判断と社会的共同生活
言葉では正しいこと理想を語っておきながら実生活上では口汚く罵ったりしている自分。

普通にただの信者じゃないですかと思われるかも知れないですが。宗教二世でもあり、自己顕示欲等の同属嫌悪。不登校ひきこもりの僕を笑い者にしてきた事。
設立当初の理想を忘れ現世利益の追求に走った。人生を勝敗という天秤にかけている事(選挙で勝つ等が顕著ですね)。僕自身それらをわかってしまうからこそ認める訳にはいかないのです。

日本人(もう存在しませんか?)として真の独立を勝ち取るとはどういう事なのか。童謡に古き良きものを感じた自分。住み慣れた街で自然に鳴った岩音。新旧。どちらにも入れない僕は、やはり最期は跡を濁さず潔く去るべきなのでしょう。

生かしてもらった命。


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