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伏線ってきっと、回収されるためにあるんだね

ひさびさにインタビューの仕事があった朝。

何度も味わってきたぬるい憂鬱な気分に浸りながら、すっかり習慣化してきたモーニングページ(朝のジャーナリング)を綴る。

やりたくてやっているはずの仕事。なのにどうしていつも、楽しみより不安が勝ってしまうのだろう……。

ずっと嫌だった自分も、そのまま受け容れるようにペンを走らせる。

怖さもカッコ悪さも正直に。

すると不思議なもので、どんなにネガティブを書き連ねても、少しずつ少しずつ出会いたいメッセージへと近づいていったりする。

記事を書くためだけじゃない。
私は、その人の人生を祝福したいんだ。

"祝福" というメッセージに出会えたとき、視界がプワァっと開けた気がして。たまたまその夜話す予定があった人にも、思わずウキウキしながら話していた。

"祝福" という言葉には心当たりがある。

3月。NVCのワークショップに参加して、「これまでやってきた大事な活動や仕事において、満たしたいと思ってきたニーズは何か?」というテーマがあったとき。

音楽活動について想いを巡らせながら、NVCのニーズリストを見てみると、"命の祝福" という言葉が目に留まった。

1月。作った曲のタイトルを募集させてもらったとき。

応募してもらったタイトルの中にあった "祝福" という言葉に、なんだかすごく勇気をもらった。

そしてしばらくキーワードを見つけた喜びに浸っていると、もうひとつ、大事な出来事を思い出した。

今よりずっと他人本位な生き方をしていた10代の頃。相手の望むことをするのが私の役割、とさえ思っていた。

でも高校生になって、ずっと恋愛相談に乗っていた友人が、ついに両想いになったとき。祝福すべき場面で、私は心から喜べていない自分を見つけてしまった。

どうして私には幸せな瞬間が訪れないの?
こんなに頑張って生きているのに

どうして私ばっかり不幸なの?

自分の感情や感覚なんて、随分前に蓋をしてしまったのに。私はちゃんと気づいていたんだ、幸せを感じられていない自分に。

どこまでも他人本位だった私は、こう思うようになった。

心から人の幸せを喜べるように
まずは自分と向き合おう。

それから自分を知る長い長い旅路がはじまり、今日の私へと繋がっている。

ずっと私は、誰かを祝福したかった。
心から祝福できる自分でありたかったんだ。

そうできる準備が、あれから十数年の時を経てようやく整ってきたのかもしれない。

伏線ってきっと、回収されるためにあるんだね

どんなに遠回りしても、何十年かかっても、「この瞬間のためにあの出来事はあったんだ」と思える未来へと繋げてくれる。

たぶん、私自身がそうしてる。

だから、これからどんな後悔や失敗が訪れても大丈夫。それらは物語をもっと面白くしてくれるはず。

祝福という言葉を調べてみると

幸福を喜び祝うこと。
また、幸福を祈ること。

とあり、歌うときに大事にしてきた「祈る」とも繋がってもう、感激の嵐。笑

ずっと音や言葉を使って "何" をするのかを探してた。でも、こたえはずっと前からここにあったのかもしれない。


これからはもっと祝福しよう
ただ、わたしがわたしであること

そして、あなたがあなたであることを



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