みなとみらい

【カサンドラ】~第3章~ 23.2000-観覧車

かつて理子の車で何度も夜を過ごした山下公園は、私にとってもナンパスポットではなくなり
デートスポットになった。
1999年12月31日、大晦日。
20世紀から21世紀に切り替わるその瞬間を、盛大なカウントダウンと共に迎えようと
みなとみらい、コスモワールドに多くの人々が終結した。
私は白いワンボックスの助手席から体を滑らせると
対岸に堂々と聳え立ち、全身を煌びやかな電飾で包む観覧車を見て
思わず感嘆を声にした。
カーキ色のロングコートの袖を指先まで被せ、白い息を吐きながらすぼめる肩を直樹に抱かれながら
私は今ある幸せを体中で感じていた。


直樹とは高校の同級生が営んでいた居酒屋で知り合った。
話が面白く、底抜けに明るいB型で、地元も同じ。
私と同じように海やクラブで遊び尽してきた人で、女にはよく慣れていた。
最初の一年は彼が名古屋に単身赴任をしていて、月に一度程度しか会えなかったのだけど
部署が変わりこの夏に藤沢に戻ってきた。
それを機に一緒に生活する部屋を彼が探していたようだったけれど
彼の住みたい場所が私の職場から遠いことを理由に
同棲を踏みとどまっていた。


視線の先ではカップルや学生数人のグループがガヤガヤと音を立てている。
冷たい空気をかき分け、人混みの中へ入って行くと、
先ほど全体像が見えていた観覧車の、時計より下部分が拡大され目の前に迫ってきた。
その体の中心には赤い電子文字で「23:57:27」と表示され、一番右の数字が刻々と変化していくのがわかる。
あと120秒ー!どこからともなく若い男性の声が聞こえる。
世紀の瞬間が近づくにつれ、観覧車の下に集まる人々の熱が上がっていくのが体感できた。
大勢のカウントダウンの声に掻き立てられるように
デジタル時計がついに00:00:00を表示すると、背景の海上に構える船からいくつもの花火が上がった。
カラフルに着飾った観覧車と、夜空に広がる赤や紫の花火
私は直樹に肩を預け天を仰ぎながら、彼が手に持っている小さな紙袋の存在を確認した。

21世紀を迎えたからといって、何が変わるわけでもないのだけど
藤沢に戻ることが決まった時に、電話口で嬉しそうに話していたことを聞くことになるのかもしれない。
直樹が一度私から体を離して、右手の紙袋から10cm四方の赤い箱を出し、私の手に乗せた。
ドラマで見たことのある、この箱。
女性ならここで、目を潤ませて彼に抱き着かなくてはいけない。

私は一度直樹の視線に合わせた後、黙って箱を開け、私の左手の薬指に嵌めるように促した。
箱の中では、少し前の休日に新宿の伊勢丹で一緒に見た
カルティエのリングが光っている。
直樹は冷え切った指先でクッションからそれを抜き取り
私の左手の薬指に嵌めた。

そのあと直樹が私の手を握ったまま、何か、言った。
しかし新しい時代の幕開けに歓喜する大衆の騒音にかき消され、その声が届かないまま、私は一度だけ頷いた。


帰り道、助手席で何度も自分の左手に光る証を眺めては、
彼に喜びをアピールした。
そのまま直樹の実家へ帰り、彼の家族と一緒に新年を迎え
元旦の昼に自分の家まで送ってもらった。

具体的な話は、何も出なかった。


直樹は、優しい。彼の家族も、優しい。
一緒にいて、楽しい。
好きだなぁと、思うんだ。

でも昨晩、直樹に手を握られながら「愛している」と言われた時
私は同じ言葉を返すことができなかった。


いつまで経っても、家庭を築きたいという願望が出てこない。
誰かのものになってしまったら、終わり。
結婚は私にとって、縛り繋がれる鎖であり
女として褒め称えてもらえる関係性の、終わりを示す形式に過ぎなかった。
本性を見せずに、それをどう伝えれば良いか、この日から毎日考え続けた。



浜崎あゆみ-Dearest

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