死 に た い と思ったら
いつの日もこのサイトは「死にたい」というワード検索が一位なので書いておきたいんですけど(noteではないです)
まず死にたくなる理由なんですが、
うつ病であるから、というものも含めてざっくり言うと
今の自分に対する否定 から来ていると考えています。
”今の自分”とは、今の自分から湧き出る考えや感情、また今の自分の状態
自分の立ち回り方、今の自分全て
そして何よりも長年かけて積み重なった思い
過去にも何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もこんなことを繰り返していて
これからも生きる意味がわからないという(過去の記憶を持った)今、への絶望なのだろうと思うんですね。
そうそう、ポイントは”過去”も”今”である。ということなのです。
本来私たちはすべての人が、自分がどんな人間性でどんな見た目でどんな経験をしていたとしても、その全てが素晴らしい体験であったという評価しかできない存在です。
それなのに、こんな自分はダメ、こんなんじゃあかんという思考になった時に、本来の自分との間に波動の差ができるのです。
この差が大きく大きく開きすぎて限界に達した時に「死 に た い」という強烈な感情がお知らせにくる。
とかいうカラクリです。
死にたい時に「あなたには生きる価値がある」とか「そんなこと言わないで」とかって言われるほうが辛いのは、
”こう言ってくれる人がいる”というありがたみや暖かさに救われながらも(+)
こう言われることでまた、”そう思えない自分”に嫌気が差してしまい(ー)、波動で言えばプラマイゼロ、また死にたくなって、誰かに励まされて、、、、
みたいなことを繰り返してしまうというのがポピュラーな感情の動きではなかろうかと思うのです。
だからまず最初にやることは、その「死にたい気持ち」にハナマルをあげることなのですね。
死にたい気持ちをわかってあげるっていうか。
ヴィジュアル系界隈の発信はここにも肯定感がありますよね。
支えてくれる誰かがいるなら、その方に言ってもらうのもいいですけど
そうすると支えてくれる誰かがいなくなった時に立ち上がれなくなってしまう可能性がありますから、
自分自身でそんな自分を全然OKである。としてあげられるほうがいいです。
でこの時にコツがあります。
死にたいと思っている、その自分をわかってあげようとする時、つまり自分の感情と向き合おうとする時
人は無意識に思考を動かして過去の出来事やそれに伴う感情を思い出したりします。これが怖いから感情と向き合うことを避けるだけなのです。
最初の数分はそれでも構いませんが、これをしていては思考がグルグルグルグル後からあとから襲ってきて、今度は思考のループから抜けられなくなってしまいます。
なのでまず、”死にたい”に至るまでの思考が湧いてきたら、とりあえず口に出して吐き出して(1人の部屋やカラオケがいいかな?)何でもいいから
言葉にして吐き出します。言葉にならなくてもいいから音にして吐き出します。でも、本当最初だけね。
3分と経たないうちに、自分の意識を思考から体感覚へ移します。
そのことを考えたり口に出した時、体のどこかに、何かしらの不快感を感じているはずなのです。
そこを自分で、探していきます。
例えば胸のあたりに重い感じがあったとします。
そうしたらそこに意識を、全神経を集中させて、その感情を体で感じてみる。
この時は、頭にめぐる思考を止めておいてくださいね。
その不快感、それをずっとずっと見つめ続けます。
無くなるまで、見続けます。(意識の目で)
見続けたら必ず小さくなっていき、そしていつか完全に無くなります。
”死にたい”に至る前に、何かすごく嫌な感情が押し寄せた時にも、やってみてもらえたらと思います。
フッと、さっきより楽になったな。と感じる時が来ると思います。
それから先ほどTwitterで、このようなポストを見かけました。
一般の方の投稿のようなので、勝手にお借りして良いかわかりませんが
笑
ご自身の運命を悟った奥様の、最後の七日間の神様へのお願いです。
病気や事故などではなく、最期の七日間を設定しようと思えば設定できなくもない状況にいらっしゃるのであれば
最後にしようと思うだいたいの期日を決めて、その間に本当にしたかったことを、メモにしていってみる。
そして実際にやってみる。
のは、どうでしょうか。
一週間でなくてもいいですよね。1ヶ月でも、3ヶ月でもいいから
もし、何でも好きなことして良かったら、
もし、家族を捨ててもいいと言われたら、
もし、もう働かなくていい世界だったら、
もし、不倫が許される世界だったら、
もし、この人の顔をあと1ヶ月しか 見られないのなら。
どうするでしょうか。
どうせ死ぬのだから、貯金を全部降ろして海外に行ってもいいのです。
どうせ死ぬのだから、会社を辞めてもいいし
どうせ死ぬのだから、子供を旦那に任せて1人でどこかに行ってもいい。
本音の本音を探っていけば
どうせ死ぬのだから他人を傷つけたい、ということはまず、浮かばないはずなのです。
私たちは本来、そうゆう存在じゃないから。
誰かを傷つけてストレスを解消する時には、無意識下に必ず罪悪感が生じています。
罪悪感が湧くことを、死ぬ前にしたいと、本来は思うはずがないんですよね。
だからこれをしてみた時、恨みを晴らしたいという思考になった場合は
本音を見れていない証拠、つまり死んだ後に後悔や罪が残るということでもあり、ちゃんと自分を見たら、自分を幸せにしてあげられる欲求が湧いてきます。
というかそうなるまで、自分の内側を深堀りしてみて欲しいと思います。
だってどうせ、死ぬのだからね。^^
【”過去”も”今”である】についての補足です。
私たちは「今」以外の時を生きることができません。
今、昨日にいます。とか、明日の10時にいます。とかいう人がいたら連絡ください。
常に「今」。。。
あなたが脳内に描く「過去」ありますよね。「未来」もありますよ。
でもそれはすべて「脳内」のことですよね。
思考の中に「過去」や「未来」があるだけで、実際には過去や未来は同じ次元には存在しないというかできないのです。
ですから、あなたが繰り返していると訴えているその「過去」は、
あなたの思考の中の「記憶」でしかないわけで
「過去」について今、”今”考えているというだけですから
だから過去は変えられるとかって言うんですね。
解釈がダメダメなだけで、そこは誰の評価でもなく自分自身の記憶でしかないわけです。
※ちなみに先に述べた感情を体で感じるワークも「今」にいる練習です。
今にいたら、問題なんて何もありません。
これに気づくだけで死にたいと思っている暇がなくなります。
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