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いよいよ4月は統一地方選挙

 「議会の9割が同一属性」の人たちで埋め尽くされている現状を、一色に染まらない彩り豊かな議会 へとアップデートしていくことで社会の持続可能性に寄与したいという活動がいくつも生まれています。

 同様に、私自身も、限られた生活圏の中で、女性候補者、若者候補者…声をかけても、ハードルが高い現状は共有しています。

声を拾うと、
>こどもを巻き込みたくない
>夫にも押しつけたくない

「子連れ選挙」の課題整理

①こどもを「同行」「帯同」せざるを得ないこと と、②こどもの「選挙運動参加」「選挙の表舞台に立たせる」こと  は、別であるという認識について

◆視点
①こどもを「同行」「帯同」せざるを得ない背景は?

・母体との帯同必須時期の立候補を可能にするには?

→ケア責任を渡せる環境整備を。
→フルコミットしなくても 取り組める選挙のカタチを。

・公職選挙法では、禁じていない。

 公選法137条「年齢満18年未満の者は、選挙運動をすることができない」「選挙運動」とは何を指しているか。それは、有権者に働きかけることを禁じているのであって、帯同・同行することを禁じているのではない。

 この事について、公職選挙法が分かりづらいことが障壁になっているとして問題提起されていることを見聞きしますが、政治活動(選挙期間以外にできること)と、選挙運動(選挙期間中にできること)の違いを理解して、法令順守による活動を経て立候補に挑む方がほとんどだと思いますので、子連れであるなしに関わらず、「選挙運動とは何かについて理解していなければ、危うい」のはどなたにとっても同じです。

 公職選挙法が分かりづらいことが、イコール子育て世代の立候補の障壁になっているというロジックは、真に子育て世代の立候補の障壁を低くしたいという立場から見れば、誤ったメッセージを送ってしまい危険だと感じます。

・私の経験_在任中の出産と産n後〇ヶ月での選挙

 地方議員在任中4人出産、4人の子どもはそれぞれ生後2ヶ月で保育園へ。在園時は 冷凍母乳&粉ミルク対応。お迎え後はガッツリ母乳。
 
4期4回の選挙の内、
・3期目の選挙=産後8ケ月
・4期目の選挙=産後6ヶ月

 夕方お迎え後は、母体・乳児双方にとって授乳が必要であり、候補者としては宣伝カーは降りて、代わりに支援者が回してくれました。

 現在小学生以下4名のこどもたちは、「がんばってね」と応援の気持ちをたくさん届けてくれます。

 一方で、現在の彼らに対して「選挙の表舞台に出て運動に加わってほしい」と望む気持ちは私にはありません。

(視点②に続きます☞)

◆視点
②こどもの「選挙運動参加」「選挙の表舞台に立たせる」ことと、「候補者のこども」の人権尊重

・未成年の選挙運動NG(公職選挙法の趣旨、ココにあり。)

親の立候補につき合わせることによって、こどもたちにとっての遊んだり学んだりする時間を奪うことには、ヤングケアラー問題の根っこに通じる同質の問題を抱えていると考えます。
 我が子・家族であっても別人格でありこどもや家族を巻き込むことが美徳 とされ期待される「家内工業型選挙」を アップデートする時ではないか?と考えます。

・私の経験_母の選挙、候補者の娘として

  母子家庭で育ち、母が「候補者」となったのは、私が中学2年生(未成年14歳)の時。母は、身内の1票を期待できない環境で政治家人生を始めました。ㅤ
 後に選挙権を得た私は「これで、母への1票を投じられる」と、心の底から嬉しかったです。
ㅤ一方で、「応援すべき(とされる)身内」は私ひとり。支援くださる皆さんからも、候補者である母からも、「あなたがお母さんを応援しなくて誰が応援するの?」と説得され、学業や就業以外の時間を全て捧げ、有権者の皆さんに対して、候補者に成り代わり頭を下げる応援スタイル。求められる役割を務めた20代前半でした。

 別であるはずの「母の人生を応援すること」「母の選挙を応援すること」 は同列に置かれ、「選挙にコミットしないこと」は=「親孝行ではないこと」と変換され、選挙にコミットしない選択肢はありませんでした

・「家内工業的選挙」卒業の時代

>こどもを巻き込みたくない
>夫にも押しつけたくない


 立候補の障壁となっていると考えられる、この「家内工業的選挙」を期待する有権者意識やそれに応えようとする選挙スタイルは、「多様な背景を抱える人」が参画する議会実現への道のりのためにも、社会が卒業する時期が来ているのではないか?と考えます。
 
 国会議員の発信力は大きいです。ある衆議院議員が、仕事を辞めて選挙に出馬することを妻に理解を得るのに苦労したエピソードと、家族を説得できなければ市民の皆さんを説得できるのか?という勇敢な話として語っていらした会場で、「では、妻が出馬したいと話したら、あなたは応援できますか?」と問われて明確に回答できない場面を見たのは今年の出来事です。

 また、先日の地方の首長選挙の結果を報じる新聞記事には、「前市長が女房役となり」という表現もみられ、令和の時代になっても相変わらずサポートする役割を女性に固定化する無意識のバイアスがうっかり表面化しています。

 私のできることは、こどもたちにも夫にも「選挙にコミットする候補者の家族 」という役割を背負わせない選挙をこれからも続けていくことだと胸に刻んでいます。

 家族はこれまでも、限られた期間だと理解して、「私不在の中で家庭を回す」ことで私自身が候補者で居られる時間 を最大限生み出すことに誠心誠意貢献してくれました。

 夫は職場の理解を得て有給休暇または時短勤務をしながら、4人の子どもとの生活を回してくれました。選挙カーを運行したり、有権者に働きかけたりという選挙運動に加わる形ではない形ではありましたが、これこそが、最大最高の応援なのだと受け取っています。「立候補する」という私自身の人生の選択 を最大限尊重してくれる家族に感謝しています。

 友達に宣伝しておくね。と言ってくれるこどもたちには、ありがたく気持ちを受け取って、ご遠慮しました。

 そして、それを貫くことができているのは、他でもない、そういう私という候補者を力いっぱい応援してくれた みなさんの存在あってこそ、みなさんの応援のおかげでこそ 成り立っているのだと自覚しています。

・護るべき尊厳は「選択できる自由」

 候補者の友人 もいる。候補者の恩師 もいる。応援しない選択もできる その上で「応援する選択」をしてくれる方々。ありがたすぎて泣けてきます。

 「組織票という票は存在しないのた。一人に一票づつの票が存在するのみだ。」と応援弁士の方が語ってくださった言葉、大正生まれのおばあちゃんが、「選挙権を持たない女性として生きてきて、戦後初めて1票を授かった時に社会の一員として認められた尊い一票だ。」と語ってくれた言葉、は、今でも大切に抱いています。

 だからこそ、その寄せていただいた尊い教えと、応援してくれる尊い想いを、次へと確かにつないでいく必要も感じています。

 候補者の家族であっても また、友人であっても、 別人格を持つ一人の有権者 として選択できるフリーな立場から、「応援したい人」を自分なりの関わり方で応援することを選択できる
 自己決定が尊重され応援される社会。民主主義の尊い土台を尊重していきたい。これは、私の大切な柱です。

 そして、候補者となる時、そういうお一人おひとりの選択肢の1つでありたいと願います。選ばれる候補者であるために、共感力を土台に、現状と理想からゴールを導き、政策というカタチのメニューを 届けていきたいと思います。

 多様な背景を抱える方が、「立候補」を人生の選択肢に持つような時代へとバトンをつないでいきたい。
 いつも、みなさんの在り方から学びを受け取っています。ありがとうございます。

◆曲がらず省かれず正しく届けたいこと

➊政治家2世として(2世議員のことではなく)

 親の職業としての政治 から政治が自分事になった のは、母のスタッフとして関わらせていただいた経験が原体験にもなっており、その事が私の土台でもあり、それを否定しているものではありません。
ㅤただ、「候補者の家族である」ことが負担にならない選挙風景へ上書きしたいと考えています。

➋子連れ選挙の課題整理

 子連れ選挙の課題解決は、ケアを抱えた人の立候補をどのように支えるのか?であり、公職選挙法が定める(未成年を守るための)「未成年は選挙運動NG」項目は「こどもが選挙の表舞台に出ること」を望まない候補者にとっては障壁ではありません。

 想定されているこどもの年齢や状況も丁寧にみる必要もあります。
 私も、乳児の頃は、帯同して議員活動をしていました。1歳前後、歩いたり食べたりできるようになると帯同することは難しくなり、発達に応じた環境に預けることが必要だと感じました。

 親として後姿を見せたいという思いを聞いたことがありますが、それは、選挙の表舞台に出させなくても見られますし、見せようとしなくても見えています。

 子どもたちの日常をできる限り尊重したい。子どもたちにとって安心安全な居場所を確保し、その上で、親としてではなく、ひとりの社会人として 立候補を選択したい。

 混同することなく、候補者の家族の人権と自由な選択を尊重し、また、候補者の○○(こども・妻・夫) として貢献する姿を、「選挙へ協力する美談」として定義されることに対して慎重であるという価値について気付いていただければ幸いです。

 ここまでお読みいただいた皆さまに、感謝申し上げます。ありがとうございました。

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