見出し画像

東京国立近代美術館70周年記念展「重要文化財の秘密」(を観にいったのですけど)

「重要文化財の秘密」展終了間際の土曜の夕方に駆け込んだところ、かなりの混雑で、人を観に行ったかのよう。でも、会場に入って一作目、菱田春草の「黒き猫」(1910)が観られたのは幸せであった。

画面の上半分が柏の木の枝と黄葉、下半分は下端から右端へ向かって木の太い幹が斜めに伸び、その幹に黒い猫が座っている。ごく限られた要素のみに絞られたシンプルな作である。初めはタイトルからの思い込みで、猫にばかり目が行ってしまったのだけれど、全体をよくみると、猫が位置しているのは縦長の画面の最下方で、その上にはたっぷりとした空間があり、全体がちょうど良いまとまりを成している。このまとまりはどこからくるのだろう。

画面右端上方から左下へ向かって細い枝が伸び、枝先には黄葉の塊がある。縦のプロポーションを目で測ってみると、この黄葉群がちょうど画面の中央あたりになる。黄葉群より少し上にもう一本太い枝が右から左へと下向きに弧を描きながら伸びている。その弧の頂点あたりが黄葉群から上端までの中点になる。また、黄葉群からさらに下方向へ降りていくと、下端までのちょうど真ん中あたりに猫の体の下の線があることがわかる。

つまり、

(上端)
湾曲した枝の頂点
黄葉群
猫の身体の底面
(下端)

という具合にきれいに四分割する線が示され、画面を無理なく分かっている。全体としてのまとまりの良さは、この均等な配置によるところが大きいと思う。

しかも、画面中央の細い枝の曲がり具合は、画面下方の幹ときれいに平行線を描いていて、構図を確かなものにしていると感じる。また、画面の最下部にちょうど良い存在感で鎮座している黒い猫の質量が、決めの一手となって画面を完成させている。

こういう配置の妙を考えると、きちんと上端から下へ観ていく作品だと思う。

淡く優しい黄色に色づいた木の梢から、そっと葉っぱを掻き分けて下へ下へ降りてくると……、いた。小さな黒い毛の塊が静かに香箱を作っている。こちらをじっとみる細い目。

猫を愛でたのち、百貨店の北海道物産展会場を思わせる混雑の中へ。立ち止まらないようにとの声を背中に受けながら横山大観「生々流転」(1923)をやや早足のカニ歩きで流し、人の肩越しに黒田清輝「湖畔」(1897)の精密な構図のプロポーションを眺め、近づけそうにない高橋由一「鮭」(1877)や岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」(1915)は遥拝、観ているわたくしの目の前に急に割り込んでくる紳士•淑女との攻防を繰り広げつつ板谷波山「葆光彩磁珍果文花瓶」(1917)の精緻な技を味わったりなどしていたら、くたびれ果ててしまい、特別展を離脱し、4階展望休憩室「眺めのいい部屋」(タイトル写真)にてしばし放心。閉館まではまだ少し時間があったので、常設展へ。

と、そこで思わぬ出会いが。2020年に買い入れたソル•ルウィット作品(ウォール•ドローイング)の制作が行われ、公開が始まったという。観ます観ます。
タイトルは次の通り。

Sol LeWitt
Wall Drawing #769: A 36-inch (90cm) grid covering the black wall. All two part combinations using arcs from corners and sides, and straight and not straight lines, systematically.
黒い壁に一辺36インチ(90センチ)の正方形からなるグリッドを配し、各正方形の四つの角及び辺を起点とする、弧、直線、非直線のうち2つを選ぶ組み合わせを全て描く。(拙訳)

作品はほぼ3階•4階が吹き抜けになった一角の3面を黒く塗り、そこにチョークで描かれている。
キャプションに作家による解説が引用されている。

「アーティストはウォール・ドローイングの構想を立て、その設計をする。それを具現するのはドラフトマンである(アーティスト自身がドラフトマンを兼ねるも可)。プランはドラフトマンによって解釈される。プランの範囲内で、プランの一コース一部としてドラフトマンによってなされる決定がある。ひとりひとりがそれぞれにユニークなので、同じ指示をあたえられても解釈が異なり、違ったふうにおこなわれるだろう」

「アート・ナウ」1971年6月号

今回制作に当たったのは次のかたがたである。
ドラフトマン:趙幸子
アシスタント:石付正美 平川淑子

作品の写真を数葉。

左上が最初のパターン。
指入っててごめんなさい。
続き。弧が連なっている。
最後の部分。
指示書。ボケててごめんなさい。

要素となる弧と線は全部で16種類なので、

16×15÷2=120

で、120コマの正方形の中に描かれたドローイングが並んでいる。弧や線は正方形の角や辺の中点を起点としており、縦横に並ぶ正方形の数は、描かれる壁の広さによって変わる。したがって、思いがけないところで弧が繋がって半円を作ったり、直線が伸びていったりする。このあたりに一種の偶然性が潜んでいる。また、素材の中にフリーハンドによる線が3種含まれることによって、ドローイングに不思議な揺らぎが齎される。

会場のキャプションには、本作とミニマル音楽との類似が指摘されている。確かに鑑賞者はわずかずつ変わっていくプロセスを目の当たりにするのだけれど、音楽と決定的に異なるのは、音楽は残響は残すものの、次々に消えていってしまうが、描かれたドローイングは、消さない限りそこにあり続けることである。それゆえ、正方形のマスからマスへのリズムの変容の様をじっくり眺めることができる。単純な手続きによって、しかも全て人の手によって思いがけず複雑な様相が展開される。創作というものの根源を問う作でもあると思う。(ソル•ルウィットの名前を覚えたのは、原美術館の中庭に常設されていた作品(「不完全な立方体」(1971))によってだった。伊香保に移設されたとのことなので今年こそは会いに行きたい)

重要文化財の流れを学ぶはずが、奇妙な漂流に終わった。でも、楽しいひとときでした。(2023年3月17日ー5月14日)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?