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神奈川県立音楽堂開館70周年記念/シリーズ「新しい視点」紅葉坂プロジェクトVol.3 本公演

主催
神奈川県立音楽堂(指定管理者:公益財団法人神奈川芸術文化財団)
助成
文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)
独立行政法人日本芸術文化振興会
公益財団法人野村財団
公益財団法人ローム ミュージック ファンデーション

「クラシック音楽の常識、音楽の概念そのものを転回するアイデアを、企画委員の審査で選ぶ公募プログラム」の第三回目。公募、審査、ワークインプログレス、そして本公演と、丁寧な過程を積み上げて選出され、磨かれてきた二組は、いずれも志向するところが極めて明確で、本当に楽しいひとときだった。

#1 マキシマム電子合唱団

マキシマム(磯部英彬、星谷丈生)

【演奏曲目】
星谷丈生:電子合唱団と複数の楽器のための《菩提樹の詩》
磯部英彬:電子合唱団と複数の楽器のための《幸せの缶詰》

【出演】
合唱:亀井庸州(尺八、ヴァイオリン)、多井智紀(楽具)、近藤圭(ホルン)、菊地秀夫(クラリネット)、今井貴子(フルート)、高瀬真吾(打楽器)、迫田圭(ヴァイオリン)、星谷丈生、磯部英彬(エレクトロニクス)ほか

【スタッフ】
舞台美術:上原永美(舞台美術)、映像、電子デバイス制作:秋山大知、ヘアメイク:山内美里 (nico organic & relaxing)

「オリジナル装着型電子デバイスを身につけた「電子合唱団」」(プログラム・ノート)とのこと。会場内には稼働型スピーカーIsobe Railが設置されるなど、通常の音楽会とは全く異なる雰囲気。

星谷作品…出演者はいずれも手練の奏者たちだけれど、歌の専門家ではない。にもかかわらず、楽器を奏する傍ら数多の微分音をどんどん歌っていかなければならない。そうした過酷な要求に、真摯に応えていくさまに心を動かされた。

大量の微分音を含む響きはどうにも移ろいやすく、発せられるそばからほろほろと崩れていくようである。そうした儚い和音たちを聴いていると愛おしくさえ感じられ、ずっと浸っていたいと感じた。神秀と六祖慧能の偈がテクストとして用いられ、不思議な雰囲気を生み出す(慧能の主張は basic goodness(基本的な善さ)をいうものか)。ことに先導→合唱の部分などはさながら読経のようであった。

磯部作品…開始部では奏者は演奏しつつ客席を歩き回る。どの音も各奏者が無理なく奏でる音のようで、一人ひとりの個性が遺憾無く発揮されていた。たしかに「幸せ」という形容が似つかわしい。

#2 おんがくが「ぬ」とであふとき

小倉美春&上條晃

【演奏曲目】
小倉美春:
入りまじるくるり:「ぬ」についての考察II ~弦楽三重奏のための~(2024、世界初演)
短く速くくるり:「ぬ」についての考察III ~3声のための~(2024、世界初演)
ゆつくりとながいくるり:Zerfließen… ~アコーディオンとクラリネットのための~(2022、日本初演)
短くもながいくるり:「ぬ」についての考察I ~アンサンブルのための〜(2023、世界初演)

【出演】
ソプラノ:薬師寺典子、溝淵加奈枝 テノール:金沢青児 ヴァイオリン:河村絢音
ヴィオラ:河相美帆 チェロ:山澤慧 クラリネット:片山貴裕
トロンボーン:直井紀和 アコーディオン:大田智美 指揮:金井俊文

トーク出演:髙須蘭(フルート) 小池優華(フルート)

【スタッフ】
後藤天(映像) 窪田翔、小林瑞季、難波芙美加(舞台)

プログラム・ノートには次のように記されている。「「風立ちぬ」に代表される古代語の「ぬ」。日常生活では使われなくなってしまったこの言葉が持つ、さまざまな息づかいを作曲で掬おうと出発した企画でしたが、次第にぐんぐんと「ぬ」がイキイキと暴れ出しました。「nu」はたまた「nɯ」まで拡げられたものが、めぐりめぐって私たちが忘れてしまったかもしれない「ぬ」に還ってゆく。そんなことを想い起こす舞台をご用意しました」

小倉作品は、いずれもオーソドックスな書法だと思うのだけれど、どこか惹きつけられる音である。無駄のない、よく考えられた構成と素材の配置によるものだろう。

弦楽三重奏は、文字としての「ぬ」の曲線を想起させる。特に長い音符の末尾に向けての弓の速度や勢いは毛筆のスピードを思わせる。ヴァイオリンとヴィオラは身体の向きや位置を変えつつ演奏する。その際に、このホールの音の良さ、柔らかさを改めて感じた。

三重唱は音節としての「ぬ」をさまざまな方向から取り上げる。

クラリネットとアコーディオンのデュオでは音程が微妙に上下させることのできるクラリネットと、音程の変わらないアコーディオンの対比が際立った。

プログラム・ノートには次のように記されている。「上條氏による「ぬ」研究の前段階に位置する「自然」「生成」「分解」についての研究からインスピレーションを得て作曲された。何かになりたいと願いながらも、溶けていく時間。私たちはそれをただ受け入れる。そんなことを考えて書いたものは、「ぬ」的でしかなかった」

クラリネットが長く伸ばす音の音程を僅かに変えることで、アコーディオンとの間で乖離が生じる。同一音程/非同一音程という状況の遷移が反復される。ここでの音響の遷移は、まさに「何かになりたいと願いながらも、溶けていく時間」の象徴と感じられる。いわゆる完了の助動詞としての「ぬ」が意味的に含む状態の変化を表象しているともとれる。

以上のように、「ぬ」を表記、音声、文法の各側面からそれぞれ捉えた作品だと感じた。

最後のアンサンブル作品は、奏者が聴衆を取り囲むように配置された。奏者間で音の模倣や受け渡しがさまざまな方向でなされ、立体的な音響空間を作り出す。先行する3側面を総合するかのようであった。

会場では、公演に先立っておこなわれた、ワークインプログレス(2024年3月23日開催)の資料「「ぬ」を考える」が配布されていた。ここに収められた上條氏の論考「「ぬ」って何ですか?」では「伊勢物語」9段の「渡し守、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ」」を取り上げて論じ、次のように述べている。「「日も暮れぬ」の「ぬ」はその「推移」の勢い(いきほひ)のあり様によって「あいだ」の「伸縮」が「ゆっくり」にも「瞬間的」にも成りうる」(pp.33〜34)この見解は妥当なものだと考える。推移の時間的な幅は、場面・状況によって可変的であろう。

古典語の「ぬ」は、「伊勢」の用例をはじめ、未来時の事態についても使用可能である。私見では、「ぬ」は基本的に事象Pが成立していない状態[〜P]からPが成立している状態[P]への移行をあらわすのではないかと考えている(この見立てが正しければ、機能的には中国語の“了”にも通ずるとも言える)。上條氏が論考の中で丁寧に考察している内容の一部は、この二つの相矛盾する状態の間にあるせめぎ合いといえるのではないか。

[〜P]→[P]

これは世界全体の様相が移り変わることでもある。「ぬ」が人間の意思の届かない事象に関してよく用いられるのも、世界の様相の移行をあらわすためではないか。典型的なものが季節の遷移だろう(「秋来ぬと」など)。

「花散りぬ」は花が散っていない状況から、すでに散った状態への移行を示す。ひともとの花がすでに散った世界は、散っていなかった世界とはもはや同一ではない、そうした世界観にも通ずるのではないか。

こちらの組も、現代作品に通じた奏者たちが中身の濃い演奏を披露。トークでの若いお二人による「モルダウ」も、奏者の抱くイメージによって全く異なる音色が生まれていておもしろかった。

(2024年7月20日 神奈川県立音楽堂 ホール)

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