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〈コンポージアム2024〉マーク=アンソニー・ターネジの音楽

出演
ポール・ダニエル(指揮)
東京都交響楽団

曲目
ストラヴィンスキー:管楽器のサンフォニー(1920年版)
シベリウス(ストラヴィンスキー編):カンツォネッタ op.62a
ターネジ:ラスト・ソング・フォー・オリー(2018)[日本初演]
ターネジ:ビーコンズ(2023)[日本初演]
ターネジ:リメンバリング(2014-15)[日本初演]

ストラヴィンスキー作品…ドビュッシー追悼のための作とのこと。木管楽器群の極端に細かく忙しい動きは春の祭典からの繋がりを感じる。後の新古典主義の萌芽も感じられる。アルト・フルートが好演。

シベリウス作品…こちらはヴィフリ・シベリウス賞受賞への返礼としてストラヴィンスキーがシベリウスの小品を編曲したもの。クラリネット、バス・クラリネット、ホルン4本、ハープ、コントラバス1本という不思議なアレンジ。ホルンの本数にシベリウスへのオマージュが感じられる。伴奏音形が極端に分厚く、旋律がめり込んでしまう。ハープはぽろぽろつまびくのみで、ギターのよう。「カンツォネッタ」と言いつつメロディが溶解していく。こちらも一種の棹歌である。

「ラスト・ソング・フォー・オリー」…師であったオリヴァー・ナッセンを追悼する作品。開始部など管楽器の大きなアンサンブルは確かにストラヴィンスキーから繋がる。終わりの方はいかにも追悼の音楽という雰囲気。後半にあらわれるふしは美しいけれど、嫋嫋としてやや冗長に感じる。打楽器の活躍する賑やかな部分はおもしろい。

「ビーコン」…「ブリストル・ビーコン」というコンサート・ホールのリニューアルを祝うための作。オーケストラのリズムがあまりにも良くない。譜面に律儀過ぎるせいか。金管楽器のいくつかのセクションがカノン風にフレーズを奏する場面など、タイミングも吹き方も、もっと華やかな音楽にできるはずなのにと感じられた。数分の作品なのに、いささか長く感じられる。これでは作曲者と作品が気の毒。

「リメンバリング」…作曲者の友人であるジョン・スコフィールド(ジャズ・ギタリスト)の息子で、若くして病気で亡くなったエヴァンの思い出に捧げられている。そう銘打ってはいないけれど、4つの楽章から成るシンフォニーの建て付け。ジャズ風の第1楽章はやはりノリが良くない。緩やかな第2楽章に続く第3楽章の「スケルツォ」はきっちりと急速な3拍子。あまりにべたべたな音楽で逆に感心してしまう。第4楽章のヴィオラとチェロのソロなどはとても美しく、泣かせる。独立性の高い管楽器の動きは、冒頭のストラヴィンスキーのエコーに聴こえ、プログラム上の伏線を回収している。

ターネジ作品はいずれも書法が巧みで聴くものを逸らさない。確かに広く支持されるのも頷ける。でも、これでいいのかなあ。

初めて「絶叫する3人の教皇」(1988-89)を聴いた時の鮮烈な印象を思うと、どうにも毒が抜けてしまった感が否めない。今回のターネジ作品は追悼作品が2曲、祝賀のための作品が1曲。いずれも挽歌である冒頭の2曲と合わさって、特異な、しかし強い一貫性のあるプログラムとなった。ただ、ターネジ3作品はいずれもいわば「よそゆき」の音楽であって、作家の素顔の創作とは異なるのではないか。

2017年にNHK交響楽団の「ミュージック・トゥモロー」でこの作曲家のピアノ協奏曲(2013年)を聴いた折、どの部分をとってもショスタコーヴィッチなど近現代の作家の焼き直しにしか聴こえず、閉口した経験がある。実は、今回足を運んだのには、その際の心証を検証したいという思いがあった。が、上述の通り今回のプログラムは特殊な構成原理によるもののため、果たしようがなかった。「よそゆき」以外の作品をきちんと聴かなければと思った。(2024年5月22日 東京オペラシティ・コンサートホール)

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