見出し画像

山本和智・ショウルーム「困った男」

【出演】
村田 厚生(トロンボーン) 加藤 真一郎(ピアノ) 北嶋 愛季(チェロ) 内山 貴博(フルート) 西村 薫(クラリネット) 篠田 浩美(打楽器) 西岡 まり子(打楽器) 中村 華子(笙) 山田 岳(エレクトリック・ギター) 中田 小弥香(ファゴット) 平本 彩(ホルン) 白小路 紗季(ヴィオラ) 篠崎 和紀(コントラバス) 浦部 雪(指揮)
眞崎 光司(学習環境デザイン研究者) 山本 和智(作曲)
 
主催:パレイドリアン
助成: 公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京[スタートアップ助成]、公益財団法人かけはし芸術文化振興財団
協力:株式会社ブルーシート
 
【スタッフ】
宣伝美術:森田 さら 題字:もふもふ@手書き文字 映像:入江 充臣 音源制作:井藤 淳 音響:五十嵐 優 撮影・収録:中川 周
制作:鐘ケ江 織代(パレイドリアン) 制作補助:石川 清隆

【プログラム】
1. “Ravine”for Trombone solo (2009/2014)
2. “Pentaphony” for Left hand (Right hand of never touch the keys and both legs) (2016)
3. “Dual aurora” (2017)
4. “Quartides” (2016)
●トーク: 山本和智と眞崎光司の対談
5. “Field of virtuality Intermezzo” Planumus contra planum (2021)
6. “Field of virtuality Part:2” i) Music in silver metallic (2018)
7. “Irradiance” for Clarinet and 7 players (2016)

開演前、奏者が何人かずつステージ(客席と段差はない)に楽器を持ってあらわれ、音を出さないまましばし過ごし(他の奏者や聴衆と談笑したりもし)、スマートフォンの着信音が鳴ると一礼して袖に下がる。「演奏者、楽器、聴衆のための「コンサート」」(2022)が始まっていたのである。プログラム•ノートには「演奏家が「演奏をしない」という選択」を採った場合も「コンサート」は成立しうる、とある。オープニング•アクトとしておもしろいのだけれど、演奏者の「選択」というところにやや引っかかりを感じた。奏者の「選択」が可視化されていないのである。演奏家の意志が明示されるとさらに良かったか。

1…奏者は周囲にミュート、懸垂シンバル、タム=タム、バス•ドラムを配し、時には蓋を開けてあるピアノに近づいたりもして、さまざまな共鳴音を作り出していく。ただ、会場が狭いせいで共鳴体同士の距離が近く、どの楽器が共鳴しているのか必ずしも明確でない憾みがあった(スネアは当該箇所以外は切っておいたほうがよかったか)。

2…ピアノの鍵盤を弾くのは左手に限定され、右手はピアノの筐体を叩いたり、椅子を擦ったり、紙片を振ったりする。「左手だけがピアニスト。残る手足は他のパートに属してのアンサンブル作品」(プログラム•ノート)という発想は興味深い。しかし、だとすると、例えば古典作品のピアノ•ソナタの左手と右手は「アンサンブル」とは言えないのか。言えないのだとすれば、ここで新たに見出そうとする「アンサンブル」との差異は何なのか。自分自身と合奏するという営為についてさらに深める余地があるのではないか。些か疑問が残る。

3…二つの楽器がどちらもハーモニクスを奏でる場面はおもしろかった。けれども、それ以外の箇所では必ずしも単音の中に複数の音を聴く過程が明確でなかったのが残念。

4…前半では最も聴きごたえがある。チェロの動きが印象的。バス•フルート、バス•クラリネットの蠢くさまもおもしろい。

5…電子音と映像による作品。音色や音高がシンプルな線で表現される。

最後の2曲が特に興味深く聴けた。
6…トロンボーンと打楽器、笙とエレキギターなど、意外な組み合わせの楽器同士が巧みに結び合わされ、段差なく接続されており、一体性の高い音空間が作られていく。もう少し浸っていたいというところで終わる。

7…西村氏(クラリネット)の妙技に唸る。ここでも、例えばホルンの朝顔の先に共鳴体として懸垂シンバルが置かれるなど、響きの細かい部分までが丁寧に設計されている。そうして緊密に形成されたアンサンブルを背景に、クラリネットのソロが展開される。バス•クラリネットによる急速なパッセージ、最高音域を駆使するソロ、強調されたアタックと、この楽器の特性を味わい尽くそうという作家の貪欲なまでの探求が繰り広げられていく。

プログラム全体を通じて、山本氏は非常に耳の良い人なのだと感じた。中ほどのトークでも語られていた倍音へのこだわりはもちろん、各楽器が瞬間的にみせる特徴的な音を見逃さないのである。

今回取り上げられた楽曲はいずれも委嘱によらない作だという。作家が置きたいところに置きたい音を配していることが明確である。こういった創作の仕方は、オーケストラとか、予め編成の決まっているアンサンブルからの委嘱であれば、望むべくもない。しかし、作家が自身だけの音世界を創り出そうとするなら、フリーハンドが保証される必要があろう。

奏者全員に、それぞれの作品への理解と共感が明確に感じられ、清々しい好演であった。(下北沢 ADRIFT )

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?