〈コンポージアム2022〉ブライアン・ファーニホウの音楽

【出演】
ブラッド・ラブマン(指揮)
ヤーン・ボシエール(クラリネット)
アンサンブル・モデルン

【曲目】
ファーニホウ:
想像の牢獄Ⅰ(1982)
イカロスの墜落(1987〜88)
コントラコールピ(2014〜15)[日本初演]
クロノス・アイオン(2008)[日本初演]

「想像の牢獄」…音数が過多で、特に管楽器の強奏が始まると、弦楽器群は何をやっているのか全く聴取できない。プログラム・ノート(沼野雄司氏執筆)には今夜の作品の中では「若書き」に属するといった趣旨のことが書かれている。しかし、30代終わりの作ゆえ、多かれ少なかれ書法が固まり始めていたのではと思われるのだが。これをあと1時間以上聴かされるのかと思うと暗い気持ちに。

「イカロスの墜落」…楽器数が少ないこともあり、各パートの動きがよく見えた。独奏クラリネットは頻繁に微分音を織り込みながら超絶技巧を要する譜面を易々とこなしていて驚く。ソロとオーボエ/コールアングレの絡みなど、音色が活かされていておもしろい響きが醸し出される。そういう音色の組み合わせなどを楽しむ、抽象的な音楽と思われた。ところが、プログラム・ノートは、タイトルにあるイカロスの神話をなぞって完全に標題音楽と言い切っており、その姿勢に疑問が残る。

「コントラコールピ」…純正律のキーボードが非現実的な響きを生み出すのはおもしろいけれど、聴きどころはそれだけと感じる。第一曲目と同様、何のためにこれほどの音数を展開するのか、その必然性が不明瞭である。また、初めは響きが目新しく感じられても、曲調の起伏が乏しく、集中力が続かない。

「クロノス・アイオン」…有限の時間と無限の時間との対比が主題ということか。音楽は時間芸術ゆえ、複数の時間が同時に進行するさまをアイコニックにあらわそうとすると結局複数の声部をそれぞれ別の時間で進行させる形となる。各楽器の動きを観察する限り、本作もそのような発想に基づくように見える。ただし、声部を構成する楽器は絶えず組み替えられ、入り組んだ様相を呈するー打楽器と金管楽器が同期する部分では、古典派?とさえ思った。楽器群の離合集散と、移ろっていく響きを眺めているのは、おもしろい。が、こういった重層的構造はさほど新しいものとは言えず、あえて膨大な音数と高度な技巧を費やす意味合いがわからない。

音数の多さの必然性がどうにも理解しかねた。どうにか最後まで座っていられたのは、アンサンブル・モデルンの各メンバーの技量のおかげであった。(東京オペラシティ)

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