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人工知能美学芸術展2022:演奏家に指が10本しかないのは作曲家の責任なのか


コンロン・ナンカロウ
《自動演奏ピアノのための習作第1番》
《自動演奏ピアノのための習作第15番》
《自動演奏ピアノのための習作第36番》
《自動演奏ピアノのための習作第27番》
《自動演奏ピアノのための習作第21番》

人工知能美学芸術研究会
《2台のピアノのための四分音ハノン》(世界初演) ピアノ:大須賀かおり、及川夕美

チャールズ・アイヴズ
《2台のピアノのための3つの四分音曲》
ピアノ:大須賀かおり、及川夕美

ゲオルク・フリードリヒ・ハース
《スティーヴ・ライヒ讃》(日本初演 ※主催者調べ) ピアノ:秋山友貴

第43回AI美芸研シンポジウム
「演奏家に指が10本しかないのは作曲家の責任なのか」
片山杜秀(音楽評論家、政治学者、慶應義塾大学法学部教授)
大屋雄裕(慶應義塾大学法学部教授)
中ザワヒデキ(美術家、人工知能美学芸術研究会)
草刈ミカ(美術家、人工知能美学芸術研究会)

人工知能美学芸術研究会
《人工知能美学芸術交響曲》(世界初演)
指揮:夏田昌和
合唱:ヴォクスマーナ、混声合唱団 空、女声合唱団 暁
管弦楽:タクティカートオーケストラ(ゲスト・コンサート・ミストレス:甲斐史子)
ピアノ:秋山友貴、オンド・マルトノ:大矢素子、オルガン:井川緋奈

チャールズ・アイヴズ
《交響曲第4番》(2011年改訂批判校訂版による日本初演)
正指揮:夏田昌和 第1副指揮:浦部雪 第2副指揮・合唱指揮:西川竜太 ソロピアノ:秋山友貴
合唱:ヴォクスマーナ、混声合唱団 空、女声合唱団 暁
管弦楽:タクティカートオーケストラ(ゲスト・コンサート・ミストレス:甲斐史子)
オンド・マルトノ:大矢素子、オルガン:井川緋奈

人工知能美学芸術研究会によるコンサート(ホールホワイエで美術展も同時開催)。

ナンカロウ…初めて「生演奏」を聴く。プレイヤーピアノには最後まで弾くとロールを巻き戻す機能がついている。「機械」感を味わう。最後の21番は、「左右」の声部がそれぞれ高音部から低音部へ向かいつつ減速、低音部から高音部へ向かいながら加速する趣向で、特に終結部近く、全音域に細かい音符が広がるさまは圧巻。

「ハノン」…前半では最も印象的。通常の調律のピアノ、四分音ピアノのユニゾンで、いかにもハノン的な音型が高速で奏でられていく。「ハノン」という教則本は人間を機械化するメソッドであることが強烈に示される。たしか緒言に、“一冊全てマスターした暁には、通しで40分のデイリー•エクササイズとなる"という旨が書かれてある。情趣を一切拝し、指の動きを自動化する課程である。この課程がなければ、西洋音楽のこの上なく堅牢なカリキュラムは存在し得ない。

アイヴズ…3曲目で協和音が奏でられる部分が四分音が最も効果的に響く。自分の信じていた基盤が揺らぐような、非現実感がある。

ハース…1人の奏者が片手で通常調律のピアノ、もう片方の手で四分音ピアノを弾く。高速の細かい音が少しずつパターンを変えながら推移していく。曲調に変化がなく、少々退屈。

前半は、後半へ続く四分音のオリエンテーションの観がある。

ここで「第43回AI美芸研シンポジウム」、今回の趣旨について中ザワ氏、草刈氏から説明があった。今回の催しのタイトルにある「演奏家に指が10本しかないのは作曲家の責任なのか」はアイヴズの言とのことである。この言葉から、アイヴズは人間の枠を越えることを考えていたのでは、と思考を進め、ならば人工知能につながるだろうということで、今回の演目になったという。続いて片山氏、大屋氏によるトーク。片山氏は1978年の岩城宏之/NHK交響楽団による日本初演の思い出などを語った。大屋氏のトークでは「第6の指」「使うだけで塩味を感じさせる箸」など、わたくしたちの感覚にごく近いところにまで迫ってきているAI技術を取り上げ、今後要検討となっていく事項について語られた。

「交響曲」…Ⅱの部分は映画「2001年宇宙の旅」にも登場する「デイジー•デイジー」による。3つの部分はいずれもごく短く、あっけない。AIによる創作ではないとの由。

アイヴズ…弦楽器のバンダは客席最後方に置かれており、ステージ上のオーケストラ本体と完全に音が分離するため、何を演奏しているかが明瞭である。第1楽章開始直後、バンダの演奏が始まった瞬間、「主よみもとに」の一部だとわかる。実は最初から曲全体の着地点が示されていたのだ。

第2楽章は、チャールズ•アイヴズ協会による綿密な校訂の威力がまざまざと感じられる。以前聴いていた諸録音とは解像度が段違いである(比較的最近のドゥダメル/ロサンゼルス•フィルなどは、新しい譜面によるものと思われる)。輻輳する流れの一つひとつが明確で、音がステージ上で"ダマ"になることがない。激しい喧騒の中でも、個々の要素をなんとなく追うことができる。紡がれていく音世界の輪郭、さらには細部がよく見えてくると、やはりこれはこの楽章の元となったピアノ曲“The Celestial Railroad"と同様に、"tone poem"(音詩)なのだと感じる。すなわち、ホーソーンの同題の短編における、汽車で聖なる土地をめざす物語を忠実に辿ろうとする音楽なのだと実感された。はっと音が止む幕切れが印象的。

第3楽章は、あとわずかにテンポが遅いほうが好みだけれど、ほどよく抑制の効いた表情なので心地よく聴ける。トークでも第2楽章との落差の話題が出ていたけれど、この楽章はアイヴズ自身が語ったように、一種の皮肉とみておいて良いのではないかと感じる。結局綺麗事で終わってしまう、「聖」とされる世界。

第4楽章の打楽器群のバンダは客席中央上手寄りに置かれる。ゴングが意外に響くので驚く。陣取った席からかなり近かったこともあり、このユニットの動きがよくわかっておもしろかった。この楽章はゆったりとした音楽ながら起伏が大きい。だが、ここでも演奏の解像度が高いおかげで折り重なるレイヤーがきちんと見通せる。開始部分から「主よみもとに」の断片があらわれ、その後もさまざまな形で執拗に繰り返されていく。終わり近く、そのメロディがヴォカリーズによってほぼ完全な形で歌われる部分が強い印象を残す。

細かいところまで構造が見通せるようになったおかげで、以前聴いていたのとはかなり違う音楽が姿をあらわす。オリジナルの譜面には、第2楽章に関して、作曲者自身の指揮者に対する指示書があり、かなり詳細な要求が記されている。このことから、アイヴズは単なる混沌状態を作り出したかったのではなく、むしろ見通しの良い演奏を望んだのではないかと推測する。新しい校訂版によってようやくこの作品は本来作曲者が聴きたかった形を「復原」(restore)されたのではないだろうか。

AI美芸研としては、上述のように「10本の指」発言を手がかりに、人間の枠を超えようとしたという点でアイヴズを人工知能と結びつけることを考えた。しかしながら、譜面の「復原」によって明瞭になったとおり、この作品で表明されているのは、ナイーヴなまでに純粋な祈り、世俗化されない信仰への志向だと思う。アイヴズは音楽に対して至極プラクティカルな人間だった。その姿勢は先述の詳細な指示書にも明らかである。つまり、人間の能力を補完する道具に依ることなく、あくまで人間自身の手によって、自身の思想信条を表現しようとしたのに違いない。

素晴らしい演奏を繰り広げた3人のピアニストに拍手。そして、タクティカートオーケストラ(ゲスト•コンサートミストレス 甲斐史子氏)は、夏田氏の巧みな指揮のもと、よくまとまった演奏を披露した。(2022年12月25日 パルテノン多摩大ホール)

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