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オペラシアターこんにゃく座公演 オペラ『浮かれのひょう六機織唄』新演出

◆出演者 松組/梅組 ※ダブルキャスト
ひょう六:金村慎太郎/吉田進也
かすけ:壹岐隆邦/沢井栄次
庄屋どん:佐山陽規(客演)/武田茂
お糸の父:髙野うるお/富山直人
お母ぁ:彦坂仁美/花島春枝
お糸:高岡由季/鈴木裕加
お縫:川中裕子/飯野薫
※両組に出演
村の娘たち:沖まどか、熊谷みさと、小田藍乃、小林ゆず子、入江茉奈

ピアノ:服部真理子/入川舜

◆スタッフ
台本:若林一郎
作曲:林光
演出:大石哲史

美術:池田ともゆき
衣裳:宮本宣子
照明:成瀬一裕
振付:山田うん
舞台監督:久寿田義晴
演出助手:城田美樹
音楽監督:萩京子
宣伝美術:森英二郎(絵・題字)、小田善久(デザイン)

◆助成
文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)独立行政法人日本芸術文化振興会
◆主催・制作 オペラシアターこんにゃく座

四十数年ぶりの再演とのこと。公演プログラム「おぺら小屋」に小村公次氏が寄稿している通り、「〈日本の風土に根ざしたオペラ〉を、日本の伝統芸能を踏まえて創造しようとする試み」に連なる作品であり、この一座の原点の一つを見たと感じた。

女たらしのひょう六の住む村は凶作に喘いでいる。山と谷を越えた先の村には評判の織り手であるお糸がおり、その村はたいそう裕福だという。ひょう六の村の庄屋は一計を案じ、お糸を攫ってくるようひょう六に命じる。

お糸の住む村も、ひょう六の村同様、厳しい不作に見舞われているにちがいない。そんな中、村を支えるのは、お糸の織る美しい布である。村のためひたすら仕事に精を出すお糸だが、機織り小屋から逃げ出すことのできない「籠の鳥」となっていることを嘆く。

終幕で、お糸はお縫に織り方を記した帳面を渡す。こうしてマニュアルを作ることができるのだから、家内制手工業まで実はあと一歩のはずなのである。しかしながらお糸の村にもひょう六の村にも、そのような才覚の持ち主はおそらくいない。お縫にしても、「思う人のためならばつらい仕事も」などと言っているうちは良いのだけれど、結局は「籠の鳥」とならざるを得ないだろう。

お糸は、ひょう六とのやりとりによって自分の心の中にもある想いが生じていたのだと独白する。そして一人機織り小屋、すなわち「籠」に戻っていく。決してハッピーエンドとは言えない、切ない幕切れである。

この一座らしい舞台で、ストーリーがよく練られているし、家内労働など社会の抱える問題も含まれていて、観る者にさまざまなことを考えさせる。若林一郎氏の台本、そして光さんの音楽のしからしむるところである。

いろいろな点で光さんらしいオペラだと思う。まず、音楽そのものの作りがかなり難しいと感じた。物語の中で重要な役割を果たす機織り歌は鄙びた味わいがあるのだけれど、どの歌も音程もリズムも高度に複雑なのではないかと思った。手の込んだ音楽に仕立てられている部分も多い。

例えば、冒頭のピアノの音型は、最初に聴いた時にリズム(2拍3連?)はおろか拍子さえ掴めなかった。そのほか、第一幕終り近くの、村の娘たちのコーラスに、かすけ、お母ぁ、それぞれ別の歌詞が重なる部分など、「森は生きている」のおっかさんともうひとりのむすめの二重唱などと同じく、光さんの語法である。また、終幕近く、ひょう六、お糸、お縫の三重唱も味わい深い。ここでは声が非常に器楽的に用いられているが、光さんのほかの作品でもよく出てくる手法だと思う。

他方、作品全体としては少々小ぶりな感じがする。第二幕は第一幕よりも動きが少なくなるので、もしかすると、一度しか観ない観客にはややアンバランスという印象を与えるかもしれない(実はそうではないのだけれど)。

また、必要とされる歌役者の数は多いのだが、主要キャラとその他の人々の格差が大きい。旅公演などを考えた際には、効率性の点でやや弱いような気がする。長く再演されなかったのはこういった事情もあったのではないかなどと想像した。

松組・梅組のダブル・キャストによる公演。一方の組のメイン・キャラクターが他方の組の「その他大勢」を演じるので、公演中は関わる全員が何らかの形で舞台に登場することとなる。

松組。金村ひょう六は不思議な色男っぷりがいい。序盤の、かすけにいくら詰られてものらりくらりとかわす図々しさが巧みにあらわされていた。高岡お糸はちょっとつんつんした態度が上手い。最後の切ない表情も泣かせる。川中お縫、この人の声が久しぶりにたっぷり聴けたのが嬉しい。おぼこな娘になりきっての熱演であった。壹岐かすけが印象的。生真面目で朴訥な人物像が鮮やかに表現されていた。話す声と歌う声とが断絶なくなだらかに繋がっているのがこの一座の特徴だけれど、わたくしが観始めた90年代初め頃は、今以上にそれが顕著だったと思う。壹岐氏の歌は当時の雰囲気を保っていると感じ、聴くたびになんだかほっとする。変化していくことは自然だし、不可避ではあるけれど、どこかで保っていてほしい特質である。序盤でかすけとやり合う彦坂お母ぁは、新たな当たり役だと思う。かすけの前ではひょう六に関して厳しいことばをあれこれ並べるのだけれど、いざ息子を目の前にするとめろめろになってしまう、そんなしょうもない母親を好演。佐山庄屋どんは村の存続のために苦悩するあまり、とんでもないはかりごとを始める姿を、上品なユーモアをもってあらわしていた。

梅組。松組はそれぞれの役に没入して熱い芝居をみせていた。梅組はそれと対照的に、作品やキャラクターから一歩距離をおき、「これはあくまでも芝居」というスタンスが明確だった。吉田ひょう六は浮かれ者の中にまっすぐさが感じられ、時折ふっとみせる冷静な表情とのコントラストが良い。人物像にはまだ彫琢の余地があると感じられるけれど、今後に期待。楽譜に対して非常に忠実に歌おうとする姿勢なので、この人の歌を聴いて、ああ、こうなっていたのかとわかったところが何ヶ所かあった。鈴木お糸は、意地悪な態度の中に柔らかい色香があった。沢井かすけは、壹岐かすけと対照的で、嘆き節なのに悲壮感がほとんどない。全く異なる世界を展開していて楽しかった。そして、息子べったりを隠そうともしない花島お母ぁは健康的な色気が魅力的だった。飯野お縫は可憐だけれど実はしっかり者というキャラクターが立ち上がっていた。すっと伸びる声が素敵。武田庄屋どんは、はかりごとをせざるを得なくなる理不尽さを嘆くうちに訳がわからなくなっていく姿が印象的だった。

両組とも、第一幕の締めくくりに登場する村の娘たちがなんとも愛らしくしかもパワフルで、強烈な印象を残した。(2023年9月7日(木)~10日(日)俳優座劇場)

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