中野和雄 作品展Ⅲ<無碍に賑わう~意味を込めず物語を作らず美に高ぶらず>
プログラム
GENOSBIOS(oboe)[2020]
かすかなものと Invisible (piano / 2 pianists) [2020]
綾・編む Weave(violin)[2021]
寄せ音#1~#3 seems to be / #4 Physiognomy(piano)[2021/2022]
音おほき音の中にも音ぞなき still & divers(guitar)[2022]
組んで・解で closely-loosely(piano & guitar)[2021]
出演
井上 郷子(p) 篠田 昌伸 (p) 是澤 悠(ob) 三瀬 俊吾(vn) 山田 岳(gt) 土橋 庸人(gt)
作曲家の挨拶文には次のようにある。
「筋書きに沿って一方向的に世界を造形していくのではなく、異種同種とりどりに、いくつかの音を寄せあわせ、音の連なりを絡み合わせることで、単体での印象とは異なる予期せぬ表情が刹那的にうまれては行き過ぎていくプロセスを発生させ、自在に時間とイマジネーションを賑わしてみたいという企てです」。
中野氏が教えを乞うた近藤譲氏の「線の音楽」にも通うような方法論を推し進め、音の連なりに対して一つの解釈を強制的に提示することなく、聴き手にさらに多くを委ねようとする姿勢だと思う。
しかしながら、実際に1曲目から順に耳を傾けてみると、中野氏の作品においては配置された音自体が構造化を強く志向しているように聴こえる。作者の述べる意図と、実際の作品との間にいささかギャップがあると感じられ、もやもやとした思いで聴いていくこととなった。プログラム・ノートには、先述の趣旨を基本姿勢とした狙いが1曲ごとに丁寧に記されている。だがー申し訳ないのだけれどー、どの作品も結局は同趣旨で、同じような光景が果てしなく続くかのように感じられた。
ところが、最後の2曲は、非常におもしろく聴けた。
これは、ギターの山田氏、土橋氏、ピアノの篠田氏の好演によるところが大きい。5曲目の独奏ギター作品は、部分ごとにさまざまな奏法を散りばめられている。全編が弱奏で奏でられ、美しい音世界が万華鏡のように繰り広げられていく。山田氏は部分ごとの曲想を巧みに立ち上げ、スムーズな流れを作り出していた。また、最後の作品での篠田氏・土橋氏の演奏は、曲自体の特性(「組んで」と呼ばれる部分)もあったにせよ、拍節感が極めて明瞭で、音楽を積極的に前へ前へと駆動していった。
この2曲を聴きつつ感じたのは、中野氏の作品は、こんなふうに演奏されるべき音楽なのではないかということであった。すなわち、綴られた音を、音自体が内的に有するベクトルに正直な形で構造化し、自然な流れを作り出すということである。この作家の書く音は、自身がプログラム・ノートに記しているのとは、全く異なる指向性を持っているのではないか。
このようにみると、その前の4曲に関しては、決して演奏に問題があったのではないと思われる。むしろ、奏者たちは作曲者の意図に極めて誠実に従っていた。すなわち、作者の綱領に従い、音の間に敢えて強力な結束性を設けることなく演奏していったのである。残念ながらそれが裏目に出たと思われてならない。(2023年2月13日 両国門天ホール)
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