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2022年7月2日 シリーズ「新しい視点」 紅葉坂プロジェクト Vol.1

#1kasane(河村絢音、佐原洸) 呼応する弦楽器と電子音響
【演奏曲】
ルイス・ナオン:カプリスI, II (2007)
佐原洸:連歌Ⅰ (2022、委嘱新作)
ヴィンコ・グロボカール:カルトムラン・クロワゼ (2001) 
フィリップ・マヌリ:パルティータ II (2012) 
 
#2ささきしおり ドローイング サウンド パフォーマンス/描線の音楽
【演奏曲】
描線をきく 32”-4
 

#3「音+音」(滝千春、中野翔太) “響き”を通して知る音楽の根源 そして新たな“響き”の探求
【演奏曲】
グレゴリオ聖歌
G. ガブリエーリ: ピアノとフォルテのソナタ(梅本佑利編曲)
W.A. モーツァルト: ヴァイオリン・ソナタ 18番 KV.301 ト長調 第1楽章
山根明季子: 状態 No.2
梅本佑利: VM_1.0
C. ドビュッシー: 「ベルガマスク組曲」より "月の光"(ローズ・ピアノ)

kasane…録音された音の遅延(ディレイ)によって少し前の自分の音と生の音を重ねる、電子的な変調を受けた音と生の音を重ねる、といった操作による音響の創造。素朴な疑問ながら、わずかに前の自分、わずかに変容させられた現在の自己の音、それらと現時点の自分の生音との合奏は、純粋な他者との合奏と何がどう異なるのだろう。この点についてさらに突っ込んだ考察がなされていないように感じられる。演奏は大変丁寧なものだったが、コンセプトの広がりや深まりを欠くのが残念。マヌリはあまりに冗長だった。

ささきしおり…バスドラムの表面に張ったユポ紙に、3人のパフォーマーが、粘性のある絵の具を垂らし、ブラシやスポンジなどでこすることで線を描く。同時にドラムの膜がこすれることで音が生じる。こする道具•強さ•こする位置•絵の具の量などさまざまな要因が関わる。パフォーマンスとしては、そういった諸因子について何らかの設計をおこなったほうがおもしろいーもちろんがちがちに縛るのではなく、道具や手の動きのパラメータを抽出しておき、偶然性を利用するなどして恣意性を排するといった緩い統制であるーように思うのだけれど、今回は手の動きがそのまま音と線に具現化されるところを味わうという趣旨らしく、特に制御はかかっていない模様。したがって奏法としてはまだこれからという印象を持った。少しだけ体験させてもらったのだけれど、この段階では、パフォーマンスを観るよりも自分で試したほうが楽しい。

「音+音」…グレゴリオ聖歌、モーツァルトから山根作品、梅村作品まで、短いパフォーマンスが連ねられていく。それぞれは丁寧で、おもしろいものもあるのだけれど、総体としてめざすところが今ひとつ明確でない。山根作品は、大音量で騒音が再生される中、2人の奏者がそれぞれに古典作品を奏するというもの。奏者たちの演奏はごく断片的にしか聴き取れない。2人は孤立する個人を象徴するのだろうか。ならば、例えば音響技術で舞台上の生音を客席から遮断するなどのほうが表現としてはおもしろいのではないか。騒音は街の雑踏の音と覚しいのだけれど、表情や地域性の刻印などをもたないので、今回のパフォーマンスとの関連性が弱く感じられてしまう。VRと組み合わされた梅本作品は、コンセプトがよくわからない。奏者の動作が、画面上の図形に投影されるらしいのだけれど、図形の動きのシンクロ具合がさほど繊細でなく、細かいニュアンスまでは反映できていないと感じる。粗いという印象にとどまった。

神奈川県立音楽堂主催による催しで、公募で選ばれた企画の発表とのこと。新しい試みの場を提供するのはもちろん大切なことだけれど、今回いずれのユニットも内容が今一つ詰め切れていないと感じた。目新しさはあるし、次への可能性を秘めていることは感じられたけれど、ではどんな展開が見込めるのかと言うことまでは残念ながら届いてこなかった。(神奈川県立音楽堂)

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