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C×C(シー・バイ・シー) 作曲家が作曲家を訪ねる旅 Vol.5 夏田昌和×アルノルト・シェーンベルク[生誕150年]

プログラム
・A.シェーンベルク:組曲 op.25(1921-23)(ピアノ)
・夏田昌和:波~壇ノ浦(1997)(ピアノ)
・ A.シェーンベルク:幻想曲 op.47(1949) (ヴァイオリン、ピアノ)
・夏田昌和:エレジー(2022)(ヴァイオリン、ピアノ)
・ A.シェーンベルク:弦楽四重奏曲第2番 op.10(1907-08)より 第3楽章「連祷」
・夏田昌和:美しい夕暮れ (2023/新編成版初演)(女声、フルート、ヴィオラ、ピアノ)
・ A.シェーンベルク:ナポレオンへの頌歌 op.41(1942)(弦楽四重奏、ピアノ、語り手)
・夏田昌和:春鶯(2013/フルート+プリレコーディング・フルート版初演)
・夏田昌和:岐路の夢(神奈川県民ホール委嘱作品・初演)(ソプラノ、フルート、ピアノ、弦楽四重奏)

演奏
【フルート】丁仁愛
【ヴァイオリン】石上真由子
【ヴァイオリン】河村絢音
【ヴィオラ】甲斐史子
【チェロ】西谷牧人
【ピアノ】須藤千晴
【ピアノ】秋山友貴
【ソプラノ】工藤あかね
【バリトン】松平敬
【エレクトロニクス】有馬純寿
【指揮】夏田昌和

シェーンベルク作品「組曲」…初めて全編が12音技法で書かれた、記念碑とされる作。たしかに形式はバッハの時代の組曲をなぞっている。初めのうちは、古典的な形式に新たな技法による創作を盛ることによって、「これだけ革新的になる」と、その成果を誇示するような態度が感じられる。けれど、半ばくらいからは、この作曲家の内にあるロマン主義的な要素がどんどん頭をもたげてくるのがおもしろい。終曲は我に返って、本来の方針に振り戻しているような。

夏田作品「波」…広い音域にわたるアルペジオのみによる静かな作品。限られた素材にじっくり向き合うのはこの作家の基本姿勢の一つなのだと感じる。また、上行・下行の音型には響きの内部へ分け入り、じっくり向き合うというベクトルが明確に感じられる。この2つの要素は、今回の作品のいずれにもみられた。

シェーンベルク作品「幻想曲」…最晩年の作とのことだが、やはり、濃厚なロマンチシズムを感じる。石上氏の、余分なものを削ぎ落とした潔い弾きぶりが、その性格をなお一層鮮明にする。

夏田作品「エレジー」…いくつかの素材をモザイクのように組み合わせることで構成される、美しい作。きついアタックを伴う強奏と微分音による抒情的な楽想が対照的である。全体の雰囲気から武満の「妖精の距離」が思い出される。

シェーンベルク作品「弦楽四重奏曲第2番」…無調に踏み出していく、いわば前夜にあたる作か。女声は弦楽器と同じレベルにいることが鮮明に示されていた。

夏田作品「美しい夕暮れ」…実に叙情的な小品。ドビュッシーの歌曲にみられる和音進行を冒頭に引用しているという。

シェーンベルク作品「ナポレオン」…フランス革命を終わらせ、自ら皇帝の座についたナポレオン。彼を痛烈に皮肉るテクストを、作曲者はドイツのヒトラーに重ねているという(沼野雄司氏プログラム・ノート)。フランス革命はアメリカ独立革命から影響を受けたわけだが、この曲においてはアメリカの言語である英語のテクストに、ユダヤ人の作曲家が曲をつけている。幾重にも政治性を帯びた作である。松平氏のシュプレッヒ・シュティンメは、[s]や[∫]の子音のせいかかなりドイツ語的に聴こえた。詩の作者バイロンからすれば、ミスマッチ感はあるが、作曲家がドイツ語話者であったことを考えると、不思議な臨場感が生まれる。この作品でも、器楽の動きにはそこここに後期ロマン派からの響きが聴かれる。

夏田作品「春鶯」…鶯の鳴き声を写した日本語のオノマトペを素材とする。ここでもごく限定的な素材をじっくりと扱っていく手法がとられている。

夏田作品「岐路の夢」…ピアノの内部奏法を伴う低音の歩み、ヴィオラの印象的なフレーズ(弦楽四重奏曲でも、この曲でも、甲斐氏の音色が素晴らしかった)、2本のヴァイオリンとチェロが行動を共にしつつ奏する静かな和音、といったいくつかのモジュールが巧みに組み合わされ、音世界を構築していく。

夏田氏は、限定的な素材にじっくり対峙しつつ、音の響きをどこまでも深く掘り下げ、追究していく。一つひとつの響きを丁寧に確かめつつ積み上げていく創作態度は「道行き」ということばを想起させる。本作は作家の姿勢が素直かつ明瞭に表明されていると感じた。ここでの率直なドラマ性は、シェーンベルク作品とさほど距離がないように思われた。

 道が途絶えれば 起伏の彼方では
 薮の繁みがが行く手を閉しているかもしれない
 私の道はそこで終わるのだろうか。それとも
 いまも私が辿っているのは
 ほんとうに道なのだろうか。

このように綴る清水茂氏の詩は、夏田氏の創作姿勢とよく符合する。作曲家はこの詩句に出会ったとき、さまざまに思うところがあったのではと邪推した。全編を通して、聴きやすく、共感できる音楽である。しかし、変な風に平明なのではない。作家に確かな手応えがあるからこそ生まれてくる説得力なのだろう。

演奏はいずれも高水準、実に良いものを聴かせていただきました。(2024年1月13日 神奈川県民ホール 小ホール)

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