見出し画像

Paris 7

 マーチンとどのようにして親しくなったのか、思い出そうとしても思い出すことができない。今はもうパリを去ってしまったバックパッカーの若者たちがまだヴィンテージ・パリのフロントで毎晩のように酒盛りをしていた頃、私もその中にいて、気がついたらレセプションの彼とも顔なじみになっていたのだろう。しかし、親しく言葉を交わすことになったきっかけ、というよりは理由のようなものは、はっきりとしている。彼も私も同い年の20代で、幼い頃からギターが好きで、そしてこれは彼の口からは一度も語られなかったが、非西欧人として西欧で暮らす中でいくつかの苦い体験をしていた。マーチンは、その名前からも想像がつくように(彼の名はマーティンではなくマーチンなのだ)、東欧・ポーランド出身だった。

 「去年の暮れにロンドンでジャミロクワイのライブに行ったんだ。あのいつもの変な光る帽子を被ったJKが、すぐ目の前にいた。最高だったよ。隣のおじさんなんか途中で手の甲に乗っけて吸い始めてさ」

 適当なコード進行を指で弾きながらマーチンに語りかけていた私は、昼から何も口にしていなかったために、ビールの酔いが少しずつ回ってきていた。彼の方も、いくぶん饒舌な様子だった。「コカインかよ。元気なおっさんだな」と彼は上機嫌で立ち上がると、パソコンの前で止まり、何かを操作しているようだった。

 「最近そういうのやってないね」と呟くと、フロントで流れている音楽を変えた。"Space Cowboy"だった。

 "Say, I'm red again"とJKが歌い上げるところで私が両目を指差すと、すでにビールを空けた彼は大声で笑った。私も釣られ、声を出して笑った。人気のないフロントの一角に響く私たち二人の笑い声に、私はその空間のみが深夜のパリから独立しているかのような錯覚を覚えた。マーチンは再び立ち上がり、二本目のビールを取り出そうとしていた。ガチャっという機械的な音がして、フロントと通路を隔てる扉のドアノブが回ったのは、そのときだった。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?