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Paris 4

 ロシュシュアール通りから右に狭い小道を入り、20メートルほど歩いてヴィンテージ・パリ・ホステルに着くと、オートロックのドアの横にある小さなブザーを鳴らした。珍しく、ドアはすぐに解錠された。中に入るとレセプションには顔なじみの若いマダムの姿があった。あら、あなた、パリへおかえりなさい。そう言って彼女が微笑むと、私はようやく家へと帰って休むことを許されたような気分になった。今回は夜行バスだったから少し疲れたよ、と愚痴をこぼしながら鞄をクロークへ運び入れると、フロントロビーの端の椅子に腰をかけ、少し休むことにした。

 ヴィンテージ ・パリのロビーは広く、その中央にある数人がけの大きなテーブルは、もっぱら友人たちと酒を飲み交わすための場所だった。カナダ、メキシコ、アルゼンチン、イギリスなどの様々な国からパリへと旅に来ていた彼らとは、このロビーで顔を合わせるうちに自然と言葉を交わすようになっていた。"Never have I ever" や"King's cup(彼らはこれをKing's cardと呼んだ)"などパーティーの定番のゲームを、このテーブルを囲んで飽きることなく朝まで遊んだーーちょうど修学旅行の夜に、特別な一夜をいつまでも終わらせまいとする学生のように。彼らは皆、すでにパリを去ってしまっていた。広いロビーは閑散としていて、ふと、夏休みを迎えた教室に私だけが来てしまったような気分に捉われた。

 チェックインまではまだ時間があり、私は久しぶりのパリの街へと散歩に出ることにした。行きつけの屋台でガレットを食べ、カルフールで買い物を済ませると、ブルーカラーの中年パリジャンたちの中に混じってタバックでエスプレッソを飲んだ。それは平凡な、よくあるパリの下町の昼下がりだった。旅の緊張が、穏やかな下町の日常の中で少しずつほぐれて、次第に眠気を感じ始めていた。眠くなると、一刻も早くひとりになって休みたくなった。私はホステルへと戻った。

 チェックインを済ませて部屋でシャワーを浴びると、テラスで煙草を一本吸い、それからベッドに横になった。意識はすぐに微睡み始めて、イメージの中にはぼんやりと薄暗く灯った電灯から紐がぶら下がり、それを引く動作ひとつで、いつでも眠りにつける状態だった。その紐にゆっくりと手を伸ばしながら、半睡の意識の中に最後に浮かんだのは、大きな砂時計の中で砂が少しずつ零れ落ちていく光景だった。それは嫌な焦燥感だった。胸に鋭い痛みのようなものを感じた気がして、私は咄嗟に睡魔に抗おうと試みたが、すでにもう遅く、伸ばした右手は力なくその紐を引き終えていた。

続く

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