Paris 15
グーグル・マップの検索窓に「パリ」と入力すると、そこに表示された街が楕円形をしていることに気がつくだろう。街を囲うように走る環状線(=ペリフェリック)が描くこの楕円の内側が、20の行政区に分かれるパリの街である。フランスという国において、パリ以外のいくつかの地方都市を除けば、私はそれまでペリフェリックの内側しか知らなかった。否、そのすぐ外側のバンリュー(Banlieue=郊外の意)と呼ばれる周縁部が孕む社会問題について知識として大学の教室で学んだことはあったが、その地を直接この目で見たことはなかったのだ。また、見ることもないだろうと思っていた。しかし現実は想定通りにはいかないものであり、それ故にその道程にいくつかの物語が生じる。特に旅を始めてからは、そのことは顕著だった。自身の判断や行動がかつての自分の想定していた範囲の内から物の弾みで容易に逸脱してしまうことを、この頃にはすでに経験から感覚的に学んでいた。
10人ほどの降車客に混じって私とヨナスはホームへと降りた。駅構内にはこれといって目につくような部分はなく、むしろ他の多くのパリのメトロの駅と比べて清潔な印象さえ感じた。地上へ上がり、北へと伸びる職安通りをまっすぐに行く。路上生活者ではないのに道端に座り込んでいる人を何人か見かける。日本では週末の市街地などで目にする光景だが、欧州の都市で昼間にこれを見かけるのは珍しいように思う。ガラスの割れたビルがある。通りが寂れている。活気がない。色がない。街に息づく人の呼吸を、ここでは微かにしか感じられない。
しばらく歩くと地図上で指し示された地点へとたどり着き、横に走る小さな通りの向こうに目をやると小さな民家のような建物があった。そこが宿だった。裏口に回り、鉄格子の扉の横にあるブザーを鳴らし、二階のエントランスへと階段を上がる。靴を脱いでサンダルに履き替えて中へと入ると、出迎えてくれた人の良さそうなアジア系のおばさんが一通りの宿の説明をしてくれた。宿代は一晩で20ユーロ。週末も同じ。食事は朝と夜の二回、この料金は宿泊費に含まれている。これほどリーズナブルな宿に出くわすのは初めてだったが、これも市街地から外れたバンリューだからこそ可能なのだろう。宿泊客の日本人たちは出払っているようで、玄関を入ってすぐのリビングのようなスペースには誰もいなかった。支払いを済ませ重い荷物を預けた私たちは、周囲の街の様子を確認するため散策に向かうことにした。
続く
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