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Paris 1

 パリに着いたのは、翌日の早朝だった。夜から朝にかけて高速を走り続けたバスは、フランスに入るとまずシャルル・ド・ゴール空港近くのバスターミナルで停車した。運転手が短くアナウンスをして、それに続いて黒い制服を着た数人がバスに乗り込んでくるのが見えた。入国審査だ。

 私はジャケットの内ポケットにパスポートがあることを確認しながら、周りのオランダ人たちの様子を伺っていた。「オランダとベルギーとの国境に差し掛かる直前まで、マリファナ入りの菓子を食べ続けていたオランダ人たち」の様子を。ほんの微か、しかし閉め切られたバスの車内には未だにその香りが残っていた。慣れている彼らでも動揺は避けられないのだろう。そして動揺もまた香りと似ている。一度生まれてしまった心の揺れ動きは、目線や声色、指先の動きなどに、少なくとも数分は残り続けるのだ。

 審査官が私たちの座る最後尾のあたりまでパスポートを確認しに来ると、周りのオランダ人たちの動揺はよりいっそう明らかなものになった。不自然だった。コンシーラーを厚塗りするような即席の彼らの平静の装い方はもちろん、シェンゲン協定という言わば関所手形を手にしている彼らが、比較的チェックの甘いフランスの入国審査に際して動揺をしている、という事実が。まさか、物を所持しているのだろうか。この微かな香りの出所はそれなのだろうか。だとすれば、気の毒だとしか言いようがない。「国境越え」は、ご法度だ。リスクが見合わない。そしてそこは東南アジアの某二国間の国境のように、バスの窓から外にいる審査官に向かって札束をばら撒くことですべてが解決できる場所ではなかった。

 周りのオランダ人たちが執拗な質問に英語で受け答えをする中、日本国パスポートという世界有数の信用を手にフランス語で答える私のパスポートチェックに要した時間は、おそらく30秒もなかっただろう。それを終えてしまうと、私は少しのあいだ目を瞑って休むことにした。まともな睡眠はほとんど取れておらず、他の乗客のパスポートチェックは、相変わらず手間取っているようだったからだ。

 しばらくすると、乗客たちが一斉に立ち上がる音がした。これは長い時間がかかるパターンだろう。目を開けると、やはり、私を含む数人の乗客を残して、ほとんどが車外へと降りていくところだった。預け荷物の検査だ。疑わしいにもかかわらず、手荷物検査では成果が上がらなかったのだ。仕方なく、私は近くに座っていたアジア系の女の子と話をして時間を潰した。おそらくフランス育ちの中華系移民だろうか、いつまでも終わらない入国審査にうんざりとする彼女の表情は魅力的で、薄い肌に滲む疲労はやや官能的ですらあった。その短時間のやり取りは、私の心を徐々にアムステルダムからパリへと順応させていく過程のようだった。

 愛する街、パリ。花の都に再び戻ってきたのだ。幾人の乗客がシャルル・ド・ゴール空港で引き止められたのかは分からない。そんなことは、もうどうでも良かった。ガリエニ駅のバスターミナルで彼女と別れると、煙草を吸うため、屋外へと出た。アムステルダムよりも幾分強い日差しは、紛れもなくパリのものだった。

続く

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