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僕青3rdと鉄棒理論と秋元康さんと過去僕がツイ◯ターをやめようと思った理由

ブレイブパーンチ!

僕青の3rdと鉄棒理論と秋元康さんと僕自身について思っていることを書きたい。

順番はどうしよう。

僕自身→鉄棒理論→僕青3rd→秋元康さんの順番でいこうかしら。

メインは②からで①はサブみたいなもんです。


①ツイ◯ターをけっこう前にやめようと思ってやめてそっからやってない理由

理由としては2つ。

1つは切り抜かれたら炎上するような行動や発言の瞬間なんて、人間生きてたら1億人中1億人全員にあるんだから、自分のことはいっちょ前に棚に上げて当事者をネタにいいね稼ぎするという行動はできないなぁとふと思った。

もう1つは自分だけの視点で物事を見れなくなっていく感覚があるというか、自分の中でも無意識のうちにいいねがいっぱいついてる端的で芯食ってそうなツイートを正しいと認識するクセがつきかけてて、(言い回しなども含む)これじゃ自分の意見がない、というかただいいねがいっぱいついてる意見に便乗してるだけなのに、それを自分の意見だと錯覚してるような人間になってしまうと思った。

だからやめました。

今は自分のアカウントを持たずにブラウザ版でラジオのメールテーマの確認のためだけに使っています。


②鉄棒理論

鉄棒理論とは秋元康先生のインタビューかなんだったかで見たんですけど、

たとえば、校庭があるとする。

校庭の真ん中でドッチボールをやってる集団がいるとする。

人数オーバーになってしまった人たちは鉄棒遊びをする。

そして鉄棒遊びをしていて、それが発達してきて遊びとして成熟してきて楽しそうになってくると校庭の真ん中でドッチボールをしている一部が楽しそうだと思ってこっちにくる。

そして元々ドッチボールをしていた集団が多数流れてくると言ったもので、秋元康先生はこれをK-POPと日本アイドルの比較に使っていました。

今はK-POPが校庭の真ん中でのびのびとドッチボールをしている。
それを後追いして第2のドッチボール集団を作ったって規模も場所の良さも勝てない。

だから鉄棒遊びを突き詰める。

その結果、ディズニーを目指さなかったからこその京アニやジブリ、アイドルで言うとAKBやベイビーメタルやセーラームーンといった日本独自のものが世界から評価される現象を秋元康は「鉄棒理論」と呼んでるみたいなのを読んだ記憶がある。


僕はこれを読んで思いました、「僕たちオタク風情が口出しできることなんてない」と。

「全肯定待ったなし」と。

たぶん僕らごときの頭に浮かぶようなことなんて何十年も前に秋元康は通ってきてる道です。

そりゃ秋元康だって分かってます。

「ガールズルール」みたいな曲を出せば、一定の評価を得られるし、一定の再生回数も得られる。

欅→櫻のような明確なコンセプトは他グループとの差別化を図れる。


でも、秋元康は挑戦し続けます。

だって上の2個じゃK-POPに譲った覇権を取り戻せないから。

「ガールズルール」のような曲は一定の評価を得られるけど、K-POPに譲った覇権を取り戻すまでには至らない。

櫻坂は他グループの中では差別化できてるけど、そもそもダンスというK-POPの土俵の上で戦わされている以上、それは第二のドッチボールグループに過ぎず、鉄棒ではない。

あと櫻坂のオタクはあまりにダンスに重きを置きすぎているというか、結局それだとK-POPの土俵で戦っていることになる気がする。

欅坂時代よりもダンスは成熟しているはずだが、そこに欅坂以上のムーブメントが伴わないのは、やはり鉄棒ではなくダンスというK-POPの土俵で勝負をする第二のドッチボールグループの位置についているからということになるのかなぁ。

そういう意味では欅坂は鉄棒として出来上がりかけたものなのかもしれない。

けどそういう鉄棒ができることって厄介な点でもあって、オタクは「欅坂・櫻坂はグループカラーを確立してるから人気なんだ」ってよく言うけど、言っちまえば、アイドルというか、そもそも人間がとれるカラーって「明るい・かわいい・元気」、「クール・かっこいい」の2色ぐらいしかなくない?

いやまぁ、そりゃ僕みたいに「ブス・根暗・ラジオリスナー」っていう3色目もないことはないけど、それはアイドルに適するかと言われれば不適だし、ターゲットも限られるじゃないですか?

だからこの2色のうちの1色をぶんどったのが櫻坂なので、残された色が1色である以上、そもそも「グループカラーを確立」ってこと自体が無理な話だからってことになる。

だから乃木坂が「かっこいい・ダンス系」にしたらグループカラーを確立してるのは日向坂ってことになるし、日向坂が「かっこいい・ダンス系」にしたらグループカラーを確立してるのは乃木坂ってことになる。

結局、2つしかないイスに対してグループが3つあるから当然のことってだけで、櫻坂オタクの「グループカラー理論」は空論というか、じゃあ3色目なんやねん、もっと言えば4色目、5色目ってなんやねん、って話になるし、3色目、4色目、5色目でたとえば、「儚さ」とかをテーマにしたとて、人間が抱く感情やまとう空気の中では、「明るい・かわいい・元気」系や「クール・かっこいい・ダンス」系に比べれば、「儚さ」はあまりにも限定されすぎてて、作れる曲の数も少ないし、それでK-POPに勝ちうるかっつったら、勝ちえない。


K-POPが好きな人ってなんでK-POPが好きなのかを考えたときに、①流行ってるから、②前提知識をいれる手間が日本アイドルに比べてないから

なんじゃないですかね。

だって真の意味でダンスが見たいなら日本アイドルにだってあるじゃないですか、ハロプロとか。
ダンスに力入れてるグループって。

あとオーディションから見てて愛着があるとかも、それも別に日本アイドルでもともと補える要素だったし。

だから結局のとこ、「流行ってるから」、これに尽きるんじゃないですかね。

で、あとは前提知識をいれる必要がない。

乃木坂とかAKBってけっこう歴史が長いじゃないですか。

でそれをちゃんと冠番組を1話から追って、趣味にして語らうのはTikTokとかツイッターとかのショートコンテンツばっか見て育ってきたクソバカZ世代には厳しいじゃないですか。

なので、手軽に数十時間見るだけでいっちょ前に人前で語らうアイデンティティにできるK-POPが最適だったんじゃないかなと。


まぁその手軽さと日本で主流であった坂道にダンスでマウントがとれるがゆえに流行り、流行ったがゆえにさらに流行り、さらに流行ったがゆえに女子との話題になりパコれるコンテンツとして男にも広がりといった感じだったのではないでしょうか。


でも、K-POPの歴史もけっこう長くなってきました。

アイデンティティにするにはけっこう長く遡らなきゃいけなくなりました。


となると…?


鉄棒(AKB・乃木坂)

→ドッチボール(K-POP)

→鉄棒(僕青)


になるんじゃないですかクォレハ。


 ③僕青3rd

K-POPを潰す上で日本アイドルの中でトップであるということ、評価軸にダンスは存在していない(重要)グループであるということが大切になってくると思います。

だってそもそも日本アイドルって未完成を愛するものじゃないですか。

そこにK-POPが完成形という評価軸をもってきたんだから、この完成形という評価軸が定着したきたここいらで未完成という日本アイドル元来の評価軸をぶち込んで鉄棒にしようというそれです。

だから日本アイドルにそもそもダンスという評価軸もいらないし、もっと言えば「明るい・かわいい・元気系」「クール・かっこいい・ダンス系」というカテゴライズすらいらないのです。

色んなグループにコンセプトなんか決めず、色んな曲が行き渡ればいいのです。本来は。

結局メンバーの人間味に対してオタクがつくべきなのです、本来は。

だから僕は、僕青にはK-POP的な要素(ダンスや過剰なまでにスタイルの良さにこだわる評価軸のこと)ゼロで三坂ぶち負かして、日本一のアイドルになって、日本アイドル元来の評価軸を音楽シーンにぶち込んでK-POPをぶち負かしてほしいなと思います。

で、今回の3rdはいわゆる「ガルル」的な立ち位置を狙ったのかなと思いました。

訳すと、オタクウケは良いから、ファンは増えるし、三坂に追いつく上で必要な段階だけど、K-POPに対して勝負をかける曲じゃない、みたいな。

三坂に追いつくまでしばらくこの感じ(ガルル系→気づいたら片思い系のループ)で三坂からファンを吸収して、三坂越えたあたりでK-POPを潰すために秋元康先生がどんな楽曲をぶち込んでくるのかが今後の日本のアイドル界の命運を占うポイントだと思います。

ただ1つ危ないのが僕青のコメ欄、八木仁愛さんをめちゃくちゃK-POPの評価軸(ダンス)で評価してるコメントが多い。

たぶんだけど、このグループ(僕青)、秋元康さんはそういうK-POPやもっと言えば櫻坂、もっと言えばダンス中心の評価軸へのカウンターで作ったと思うので、そういうコメント見ると、その評価の仕方ってどうなの?、かえって首絞めてない?って思っちゃいます。


 ④秋元康

やはりなんやかんや言って「秋元康プロデュース」という言葉が持つ力は大きい。

だが、秋元康だって人間だ、いつか死ぬ。

御年66歳。

普通なら定年退職している年だ、いつやめてもおかしくないし、もっと言えば、やめる前に…なんてことも可能性としてはない話ではない。

秋元康先生は、日本アイドルを文化として残そうとしてくれているのだと思う。

想像してほしい。

今、このK-POP主体の状態で秋元康が亡くなったら、この先、日本アイドルが音楽シーンの中心を担うことがあるだろうか。

おそらく、ない。

おそらく、日本アイドルという文化そのものが消滅する可能性だってあり得る。

秋元康は引退する前に、せめてK-POPから覇権を日本アイドルに取り戻して、自分自身が根ざした日本アイドルという文化を残したいと思ってくれてるのではないか。

そして、そのために生み出された鉄棒であり、K-POPへのカウンターが僕青なのではないかというようなことを思った。



という、おはなし。(森本レオ)