海の向こうを見つめていると遠くの街の喧騒が瞼に張り付く。周囲を山に囲まれ窪地になった土地に街が蠢いている。海はなく山から続く川が街の真ん中を通り水は生活用水になっている。その街では僕の友人が医者を開業していて内紛で傷ついた人々をせっせと救っている。内紛は五年前から続いており休戦の見込みはない。重症患者が泣き叫びベットの横にはたくさんの怪我人が座っている。地面は舗装されておらず埃が幾何学的に宙をまう。医者は苦悩を浮かべながら日々人を助け続ける。病院の外に立つ少年の口角の歪みがズームされていきフレームはそこでぶつ切りになった。
「ケイって本読むの好きよね?」
「ああ。」
眼の先ではさざなみが立っている。三月の海は青というより少し黒ずんでいて冷たさは深く底が知れない。引き潮の際に剥き出しになる砂浜は寒々とした空気に微妙な起伏を与える。
「私小説書いたのよ。意外でしょ?話聞きたい?」
「ああ聞きたいよ。」
県道沿いにある小さな駐車場は海と隣接していて車の席からは裸になった砂浜がよく見える。陽はもう少しで沈みそうなくらい低くありオレンジ色の放射はゆったりと周囲に分散し始めた。
「ある村の話なの。その村はね一年に一度鷲に生贄を捧げるの。鷲が脅威とされている村なのね。それで生贄は壮年の男じゃないとダメなの。しかもその街で一番知能が高い男って決められてる。その土地の鷲はね昔男にいじめられていてそこに恨みをもっているのよ。だから若い女とかじゃないの。」
時折背後で車が通り過ぎては音だけがそこに残る。ぼんやりとした音で余韻はない。
「生贄は九月の満月の日に村の真ん中の広場で大声で叫ばなきゃいけないの。でもただそれだけなのよ。鷲は優しいから命を奪ったりしない。その代わりその男はそれから先意思疎通が一切できなくなるの。本で文字を書いても伝わらなくなるの。だから生贄は広場で叫ぶ言葉を慎重に選ぶ。最後の一言を何にするかじっくり考えるの。鷲はその滑稽さを肴に酒を飲むのよ。」
彼女は得意げに話終えた。口の周りには白く丸い気泡が浮かんでいる。
恐ろしい話だな。
そうかな。素敵な話じゃない?最後にチャンスをくれるのよ。優しい鷲だわ。
面白い感性してるんだな舞は。
ケイなら何を叫ぶ?
何も叫ばない。
そう言うと思った。
話し終えた舞は鏡を見ながら前髪を直し始めた。ピンクのカーディガンはちかちかと点滅している。 
なんかね無性にイラついたから小説書いてやったのよ。
腹が立つ時に小説を書く人めずらしいよ。
だって怒りのぶつけどころってあんまないじゃない。
彼女の声は特有のリズムで弾みその規則性は僕の半身を優しく揺り動かす。
またあいつとなんかあったのか?
言いたくないわそんなこと。どうでもいいわあんなやつ。ねえどうやったら人を信用できるようになる?
そんなこと俺に聞くなよ。世の中あいつみたいな奴ばかりじゃないだろ。
そうかしら?
そうだろ。
適当に笑いながら彼女の方を向くと携帯に知らないキャラクターのストラップがついていてそれが小刻みに揺れている。車内は少し甘い匂いが充満していて悪趣味な音楽と混ざり合い鼻腔を包み込んだ。
信用できない人間が多すぎるのよ。生きるってことはルールを守るってことじゃない。なのにそんなものみんな平気で破るじゃない。
彼女の声は荒立ってはいるが抑制された怒りだ。表情は計算作られた角度で歪みながらも真っ直ぐとこちらを見ている。
でも動物としては正解だ。
どういうこと?
少なからずの善に価値は無いし少なからずの悪は見過ごされる。
そういう言い回しすごく嫌いだわ私。
悪かったよ。それにそういう人に心がないってわけじゃない。ただそういう性質として備わっているだけで本質的にはみんな変わらない。だから彼らをそんな責めるのはフェアじゃない。
それ本気で言ってる?
ああ。
あなた嘘つきね。反吐が出るわ。
舞の心は脆く掴みどころがなく目の前に浮かんでいる。輪郭だけがはっきりとしているが色はない。
舞は優しいんだよ。昔、一緒に夜歩いた時あっただろ。多分秋ぐらいだったかな。なんかトンボとか飛んでてさ。祭があった日かな。俺その時こんなに優しい気持ちになれるのなんてないと思ったよ。今までいろんな女の子と歩いたけどさあんなに穏やかであったかくなったのなんて無かったな。
上手なこと言えるのね。
そんなこと言うなよ。舞はただ人より鋭いだけなんだよ。
風景は平面的に見え完成している。空には鳥が飛んでいて鳴き声がこちら側にも少し響いてきた。陽はすっかり沈み周囲の山並みの輪郭はぼやけ時間はゆっくりと迫ってきている。
車内の曲が変わるとまた遠い街が見え始めた。今度は平和な時代みたいで街の人々は笑顔で暮らしている。病院には人気がない。緑道の淵に二人の女が立ちながら話をしていた。二人ともこないだ子供が生まれたらしく、それとなく不安を交換している。内紛の記憶は消えてはおらず大人は波のように繰り返される熱気を恐れている。向かい側の家から鎖がついた犬が飛び出して女のスカートに噛み付いた。毛は灰色に染まっていて汚い。
何を見てるの?
舞の声は低く景色と一体化する。
犬ってなんの象徴かな?
忠実さじゃない?
犬は広場で見せしめに火炙りにされた。臓腑がこぼれ落ち少年たちは手を叩いて喜び飛び跳ねる。犬の肉は綺麗に加工され街の長に捧げられた。
明日映画見に行かないか?
いいわね。
何が見たい?
私の小説みたいな話。
わかった。探しとくよ。
ケイは何が好きなの?
映画あんまり見ないんだ。
本読むよりもっと映画みなきゃダメよ。本読んでもどんどん陰気になっていくだけなんだから。
わかったよ。
暗がりの先に月は見えない。水面に浮かぶ妖光は海月を模していて数匹は飛び跳ねている。この街には海がある。水面に浮かんでいる車のショットが頭に浮かび衝動的にアクセルに足をかけた。柵の分け目を乗り越えていき車は砂浜に乗り上げる。
気狂いピエロみたいだな。
なによそれ。
車輪は砂の上を擦り緩やかに進み少しずつ車は海辺に近づく。
何してるの?ねえやめてよ。
水の乱反射は光を並べていてその配列は整っている。舞の表情には少しずつ恐怖が刻まれ始める。
このまま消えれたら幸せだと思わないか?
やめてよ。あなたと死ぬなんてまっぴらよ。死ぬなら一人で山奥行って誰にも迷惑かけずに死ぬのよ。それが正しい死に方ってやつよ。
舞の声は強く響き空間に訴えかける。
ブレーキをかけると車はゆっくりと停車した。
冗談だって。そんな怒るなよ。
冗談じゃ無かったでしょ。
冗談だよ。
沈黙は車内の中に副次的に存在している。持ってきたコーヒーの苦さは喉の粘膜に張り付いて留まった。窓は膨大な暗闇を隔離していて僕を守ってくれている。車内には暖かな空気がまだ残っていていくらかは大丈夫だ。遠くの陸地には薄らと明かりが灯っているように見えるがもう街は見えない。













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