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吉本とHIKAKINの危機対応の初動に学ぶ

いつもと全く傾向が違うんですが、
あまりに衝撃的というか、
学ぶところが大きかったので書かずにいられません
何って、
吉本興業の週刊文春の松本人志の性加害疑惑記事に関する初期対応(以下吉本ー松本)と、
ついで起きた、
同じ週刊文春のHIKAKINの二股交際疑惑記事への対応(以下HIKAKIN)の
比較です。

敢えて言明しておきますが、
私は松本人志(以下松本)にもHIKAKINにもほとんど興味がなく、
世のトップスターに対するスキャンダル、という危機に、
企業がどのように望み、どのような結果を生むのか、
という点のみです。
かつ、今後も状況は変化していくと思うので、読み返すと変なところも出てくるのかもしれません。
元記事や動画を検証してもいないので、事態の仔細については、私の再構成により元記事の記載などと異なるところもあるかもしれませんが、この文章の本質には影響がないはずです。

まず、吉本ー松本です。
松本に対する性加害疑惑記事に対して、
吉本の対応は「事実無根であり、法的措置も検討します」
というファイティングポーズでした。

結果、世論の反応は、
松本ー吉本を「極悪非道の性加害者とそれをかばう会社」という文脈で見なしていく、
というルートに入りました。

たいしてHIKAKINです。
文春から「『結婚を発表したHIKAKINは4年前にAさんと交際関係していた。Aさんは別れたとは思っていなかった』、交際時期が重複していた時期があるのではないか」という記事が出ます。

これに対しHIKAKINは直ちに動画を公開し、
「利害関係者に心労をかけて申し訳ない」と謝罪し、
「Aさんと交際していたことは事実」と認め、
「結果的にAさんを傷つけたことは申し訳なかった」と謝罪し、
「結婚相手にもこの記事で心労をかけた」と謝罪し、
「交際時期が重なっていたことはない」と言明しました。

こちらの対応は、世論に受け入れられ、
HIKAKINの評価はかえって高まるようです。

どちらの記事も、構図は似通っています。
「スターにより、XさんがZというひどい扱いをされて傷ついた」です。
(より正確には「そう言っている」という記事)

吉本ー松本は
まず「事実無根」とZについて否定する対応を取ったために、
「Xさんが傷ついた」という心的事実を無視する結果を生みました。

対してHIKAKINは、
Zについての自身の説明を後回しにして、
「Xさんが傷ついたのはごめんなさい」として、
「Xさんを傷つけたこと」を受け止めました。

加えて、
「この記事によって傷ついた婚約者や関係者にもごめんなさい」と謝意を示したことで、周辺にまで配慮しました。

|「XさんがZというひどい扱いをされて傷ついた」|
「Xさんが傷ついたと言っている」ということについては、
Xさんの心的事実なので、これは否定困難です。

「Zという事柄」があったのかなかったのか、
その行為Zがどれだけひどい事なのか、については、
評価の余地や真偽を疑う余地が残ります。

これは、今風に言えば、
「それってあなたの感想ですよね」
つまり、意見と事実の切り分けです。

吉本ー松本は、事実について争うことを選び、
HIKAKINは、意見を受け止めることを選びました。

吉本とHIKAKIN、
どちらも今の世におう歌される存在ですが、
危機対応は天と地に別れました。

|事実を押さえて満足しない|
私の領域である医療のトラブルや人事労務問題などの分野では、
とかく事実について注目して対決になりがちです。

もちろん、事実をしっかりと押さえることは大原則です。
論理的な人間であろうとする以上、これは譲れないところです。

しかし、「人は感情によって動く」
これもまた事実です。

事実はまず抑えながら、
そして、さらにもう一歩、
対峙者の意見(傷ついたところ)に寄り添うこと、
その余裕、気配り、抜かりのなさ
それこそが事態を好転させる、という実例だと感じました。

今回、図らずも両者が対比されることで、
10年後も語り継がれるような、
トラブルへの対応の基本が見事に示されたように思います。

まだ、最近起きたばかりの出来事で、
こういうものをネタにするのは危うくも思うのですが、
1年後、5年後に振り返ってみたら自分はどう思うのかなー

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