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気がつくと心も懐も豊かになっていた話

昨日の話の繋がりで、豊かさ(お金も含めて)の話をしようかなと思います。
障害を抱える人にとってお金の問題は常に隣りあわせと思いますが、少しでも希望になる部分があれば嬉しいです。

双極性障害Ⅱ型と診断されたのは3年前の春のことでしたが、振り返ると高校3年生の頃から鬱っぽさを繰り返し感じてきました。そのせいで大学を休まざるを得なかったり、教師の夢を諦めたり、折角新卒で入ったいい会社も辞めなければならなかったりと、不安定な20代を過ごしました。
今でも夢に見るくらいに苦しかったです。

そんな沼から抜け出すことになった最初のきっかけは、都内近郊から田舎の実家へ戻ったことでした。
当時パートで働いていた洋菓子店でパワハラにあってしまい、抜毛症を再発しながらも自分の決めたゴールまではと耐え忍んで勤めきりました。
田舎に帰ったところで何かしようという志も勿論なく、「どうせ死ぬなら、生まれ故郷で死にたい。おじいちゃんおばあちゃんと一緒のお墓に入ろう」と、そんな気持ちでした。
生きてるけど、半分死んでる。
そんなヘロヘロな精神状態だったと思います。

実家に帰ってきて何もしない私に父は激怒し(父も恐らく精神疾患でしょう)、飲んでるグラスを床に叩きつけたり、母に「離婚するぞ!」と怒鳴ったり、私にもデリカシーのない言葉を投げつけたりしました。
居場所が本当になかったです。

それでもありがたいことに、衣食住だけには困ることなく、暮らすことが出来ました。1人暮らしパート(手取り10万前後)でも質素に生活していたおかげで、しばらく暮らしていける程の貯金もありました。


田舎に帰っても3年くらいは、安定して働くことは出来ませんでした。「優秀なカタツムリちゃんなら」と紹介してもらったお給料の良いコンサルティング会社のお仕事も3ヶ月でギブアップでした。
当時の自分に「いくらいい知人からのお誘いでも、お給料が良くても、自分には無理かもと直感するお仕事は断って大丈夫だよ」と声をかけてあげたいです。


一方でこのタイミングで(退職のための診断書を頂くために)、信頼出来る精神科の先生にも出会うことが出来ました。
先生のちょっとしたひと言は、居場所のない私をひたすらに励ましてくれました。


しばらく休んで回復したら「夏だけ」とか、そんなお仕事をさせてもらいながら、少しずつリハビリをしていきました。
ある程度自信がつき、今後のことをゆとりが出来てきたところで、ポストにあったチラシを見つけました。
「これなら私にも出来そうかな、、、?無駄にはならないからやってみよう」と介護初任者研修を受講することになりました。

そこで出逢った人達や、学ぶことの全てに優しさと愛があって、冷め切った心がポカポカと温まっていくのを感じました。
ここで感じた心の豊かさが、後に経済的な豊かさにも繋がっていくことになります。


「お金のことはひとまず置いといて、人の役に立てることしよう」
そう決めてから豊かさの歯車が回りはじめました。

家族に美味しいご飯を作ろう
掃除して環境を整えてあげよう
お墓を綺麗にしよう
先生に感謝の気持ちを伝えよう
昔通っていたお寺の学校でボランティアをしよう
受講生や先生に手作りのお菓子を作ってみよう

喜んでもらえると嬉しくて、またやりたくなりました。

気がつくとあたたかい出会いが増えていて、一緒に楽しく過ごしたり、将来を考えてくれる彼も出来ていました。

人のために出来ることが増えると自信にもなり、表情が明るくなったのでしょう、人から声をかけられたりすることも増え、気がつくとお仕事も安定するようになりました。
経済的にもどんどん豊かになり、思いつきの躁状態ではなく、未来を少しずつ描けるようになっていきました。


ダラダラと長くなってしまいすみません。
「心から幸せ」と感じる毎日を送れるようになり、未来を希望を持って見つめられるようになるまでの道のりを振り返ってみました。

まとめると、
①冷たい人や環境から離れること、意識して近づかないこと(とても大事でした)
②あたたかい人や優しい環境と関わること

③心がポカポカ温まったら自分からも与えてみる④気づくと経済的にも豊かになってしまっている
(経済的に豊かになってくると未来に希望持てるようになります)

よく見聞きする話だと思いますが、実際に自分から勇気を出して行動するところが一番大変で、肝心なことだと思いました。
一度経験出来れば、再現出来る自信になりました。


うっかりすると「お金!お金!」と焦ってしまう自分へも、また思い出せるよう記録しておきます。
お金よりもまず人に喜んでもらうこと
そうすれば自ずとお金はついてくる

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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