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あれから11年。新国立劇場「ばらの騎士」

4月3日から,新国立劇場で「ばらの騎士」が上演される。
リヒャルト・シュトラウスの中でも,特に好きな演目なので,今回は全公演(といっても4回)みることに。初日は,賛助会員の招待を使い,あとの3回はいつも通りCとDで確保した。

最初のキャストから,オックスのジグムントソンと,オクタヴィアンのカターエワがキャンセル。結局外国からのキャストは,元帥夫人のダッシュだけになった。あとは指揮者のゲッツェル。1・2月ころは,バカ鎖国をやっていて,来られるのか気になっていたが,流石に無意味だと判ったようで,解除。無事入国できた。
ダッシュは,椿姫の最終日に劇場に来ていた。

【4月2日】
4月2日の朝食後,義父がいる和歌山のホームからカミさんの携帯宛電話。早朝に体調がかなり悪く救急搬送したとのこと。朝5時30分くらいに着信履歴があったようだが,流石に寝ていて気がつかなかった。数日前に,意識喪失発作のような状態になったこともあったようで,直ぐに近くに脳外科専門のクリニックがあるので,MRIをとったが,脳疾患はなしとのことで,様子を見ていた。
その時点では,すぐどうするということもできず,まだ動けないので,待機することに。

私は食後,定期通院。
私の顔を見るなり,先生が「食事コントロールが本当にうまく行っているようですね。」と。HbA1cが6.1。善玉コレステロールが45,中性脂肪は127。正常値に収まった。もちろん血糖値は薬を飲んでいるのだが。
おわって,処方箋を出して貰って,表に出て携帯を見たら,「和歌山に行く」と。今後の方針について話があるのだろう。

11年前の今頃のことを思い出した。
ドイツから帰ってきて,一段落して,新年度の軌道に乗り出した頃,カミさんのお母さんが倒れて入院することになり,このときは二人で和歌山に飛んでいった。私は仕事の関係で2~3日現地にいて東京に戻ったが,このときから2ヶ月くらい,初めて一人で生活をした。そして,このときも新国立劇場では「ばらの騎士」が上演され始めていた。震災と原発で外国人キャストから敬遠され,満身創痍の上演だった。しかし,初日を見て素晴らしかったので,追加購入をした矢先に和歌山に飛んでいくことになり,カミさんはその後の公演を見ることが出来なかった。

「また,あのときみたいになるのだろうか…」。

ばらの騎士は明日幕が開く。一度行ったら直ぐには戻って来られないかも知れない。そうすると,この演目はまた見られなくなってしまう。

そうこうしていたら,カミさんからメール。ドクターから電話で聞いたところ,骨折は,おそらく少し前にベッドからずり落ちたときになったのではないかとのこと。そして,意識喪失のような症状は,てんかんのような症状だとのこと。

骨折は,私の両親もやっている。オヤジも大腿骨骨折で,痛みを訴えたので,病院にいったら骨折と判り,人工関節を入れた。母親は脛骨で,こちらはくっつくのを待った。いずれにしても,動けなくなると廃用症候群に繋がる。

ただ,義父はベッドからずり落ちた後も,特に痛みを訴えずに,手押し車を押して動いていたので,判らなかったようだ。

概ね状況が判ったので,こちらは待機するだけ。

昼食後,しばらくしてからメールが入る。
骨折のほうは手術も考えられるが,高齢でリスクもある。また手術をするにしても,まずは牽引のような方法(?)で保存することから入るようだ。それを決めるのも週明けになるらしい。

午後5時に仕事を一段落させて,ウォーキングに出る。朝通院した後は家に居たので…。近くの公園の周回コースをグルグル回り,それから近隣を散策。寒いが,その分桜が残っている。

ウォーキングの途中にカミさんから電話。
「これから帰るから。」
「和歌山の家に帰るのか」ときくと,東京に戻ってくるとのこと。
病院からもホームの管理者さんからも,事務的なことは自分達で出来るので,もしも手術をするときには来てほしいけれど,それまでは大丈夫とのこと。
ホームの管理者さんが,骨折に気がつかなかったことを恐縮していたが,判らないだろう。勿論ベッドからずり落ちていたというのはあったのだが,骨折があれば,痛みを訴えるはず。現に,私の父は「イーターイ!イーターイ!」と連呼していた。当時は母がまだそれなりに元気で,父をにらみつけて「またおおげさに!」とかなじっていたが,実は骨折だった。

ともかく,今義父がお世話になっているホームは,義母も一緒にお世話になっていて,本当によくして貰っている。もう10年近くになるか。

それはそれとして,夕方和歌山を出れば,23時頃には東京に戻れるだろう。
ほっとした。これで明日は一緒にばらの騎士を見に行ける。

肉体的にはそうでもないが,精神的に結構疲れたので,少し頭痛が出た。夕食後,入浴して,薬を飲んで,0時頃に寝た。


【4月3日】
 8時30分起床。よく寝た。久し振りに8時間寝た。
 朝食後,水周りの掃除。浴室,洗面台,トイレの順に。それから各部屋に掃除機をかけて,モップをかける。
先週の深夜に,ノンフィックスで放映された,ラーメン二郎のドキュメントを見る。自分では一度も食べたことはない(多分今後も無理)のだが,ラーメン云々は別にして,人を育てるという観点からみて,非常に面白かった。
出かける支度をして,0時15分に外出。
花散らしの雨が降っている。まったく…。

昼食
初台のマエストロで,前菜の盛り合わせ,ミネストローネスープ,久し振りにナポリタン,パンナコッタ,コーヒー。
劇場に移動。

いよいよ,ばらの騎士の初日。

昨日,大騒動だったが,無事2人で見に来ることができた。
「今日は,喜代子さん(かみさんの母親のこと)の形見の腕時計をつけてきたよ」とカミさん。

2時開演。
ゲッツェルの指揮は,とても躍動感があり,音楽がひきしまっている。しかし,決して閉塞感はない。
冒頭から,歌声に引きこまれていく。ダッシュはロールデビューというのだが,それを全く感じさせない。そして,素晴らしかったのが,オクタヴィアンを歌った小林由佳。声量もあり,ズボン役の魅力を堪能させてくれた。
オックスは妻屋秀和。もう新国立の座付き歌手といっていいユーティリティープレーヤー。あえて難を言えば,アクの強さがもっとほしいというところか。オックスの場合,下劣になってはいけないが,野卑な感じはもっとあってほしい。もちろん,どんな役も水準以上に歌ってくれるので,歌唱についての不満はない。

テノール歌手。初めて宮里直樹が歌ったが,これが素晴らしい。1月に,読響で大地の歌を聴かせてくれたが,あのときと同様,朗々とした歌声を堪能させてくれた。これで世代交代といったところか。

そして第1幕の元帥夫人のモノローグ。
年を取ればとるほど,ほんとうに身につまされる。
Wo ist die jetzt? Ja,
(彼女は今どこ?)
such’ dir den Schnee vom vergangenen Jahr!
(去年の雪を探すようなもの)
Manchmal steh’ ich auf mitten in der Nacht und lass die Uhren alle, alle stehn. 
(夜中に起きて,全ての時計を止めてしまうの)。

そして,オクタヴィアンを帰させた後,狼狽して鈴を鳴らして召使いを呼ぶ。
窓の外に雨。タバコを燻らせながら外を眺める元帥夫人。幕。
第1幕から,もう胸が締め付けられるような気持になる。

休憩で表に出て,心を静めて,第2幕。
11年ぶりに,安井陽子のゾフィー。
外国人キャストが,ハヴラタとベーンケ以外来日せず,大変な中で実現した公演だった。
あれから11年。愛らしさはそのまま,歌声には貫録がついた。

そして,侍女(マリアンネ)に森谷真理という,大間のマグロをサクで買って一切れだけ喰わせるような配役(笑)。なんじゃこりゃと思ったが,森谷さんは元帥夫人のカバーもやっていた。ダッシュが来られなかったときのためのことだろう。で,カバーだけでは勿体ないので,歌ってもらったということか。

第2幕はなんといっても,幕切れのワルツ。
ゲッツェルは過剰に溜めることはしないが,ウィーンの味わいのワルツを聴かせてくれた。

25分の休憩を挟んで,第3幕。
オクタヴィアンが扮したマリアンデルが,とても愛らしい。
そしてドタバタ劇が,黒い衣装に身を包んだ元帥夫人の登場で,切なく,心を掴まれる場面に転換していく。

ist mit dieser Stund’ vorbei.
(物事には終わりがあるのです)。

長い沈黙の後の
So schnell hat Sie ihn gar so lieb?
(一目見て好きになったのですね?)

狼狽して早口でいろいろとまくし立てるゾフィーが,いじらしい。

オクタヴィアンの
Marie Theres’!
で始まる三重唱。いろいろな思いが噴き出してきて,感情が高ぶってしまう。
音楽があざといだけだろ,といわれればそうなのだが…。

In Gottes Namen.
(これでいいのだわ)。
といって,立ち去っていく。自らが予感していた通りの結末に向かって。

若い二人の二重唱。そこにファーニナル(与那城敬)と共にもどってきて,「若いというのはこういうものですな」「ええ。ええ。」と,二人で去って行く。

そして若い二人も去って行き,モハメッドが戻ってきて,そして足早に去って行き,幕。

終わってしまった。初日から,本当に素晴らしい。おそらく,オケは,もう少し煮溶けていくはずなので,これからの3回が楽しみ。

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