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さみしさ

こんにちは、寒くなり地域によっては初雪も降ったようですね。
近所の方から、干し柿を頂きました。
温かい飲み物が沁みる今日この頃です。

BBSGを引き継いだのが2024年の3月でした。もうすぐ9ヶ月になりますが、皆さんに僕の今までの歩みを明らかにしていないので、一度書いておこうと思います。

先日は『諸相』スタディがありました。ミーティングの中や、その後の雑談で「回復の過程とは、さみしさを受け入れていく過程でもある」という言葉を聞きました。

そうか、やっぱりそうなんだと妙に納得しました。
ただの自分語りをしてもあれなんで、今回は「さみしさ」を切り口にこれまでを振り返ってみたいと思います。


いつもさみしかった

AAのドアを叩いたのは、2018年の1月だったと思います。自力の断酒で苦しい正月をなんとか素面で乗り切り、Googleマップで会場を調べて行きました。

勇気を出して中に入ると、ミーティングは終わっていてメンバーが片付けをしていました。

その日はちょうど仲間のバースデーで「今日はお祝いだから持って帰れ」と小さいケーキを持って帰るように言われました。

一瞬「別にケーキとか・・・」なんて思いましたが「いいから、持って帰れ」と押しの強さと反面、何か温かいものを感じて家に持ち帰ったことを覚えています。

それから僕のAAライフが始まりました。
ミーティングでは「僕はアルコール依存症ではありません。でも、このままでは引き返せなくなる。今なら間に合うと思い、ここに来ました。」なんてツッコミどころ満載の面白いこと話してましたね。

そこにいるメンバーは、じっと話を聞いてくれました。きっと、笑いを噛み殺すのが大変だったでしょう。

ミーティングで話す前に「アルコホーリクのpeeです」と言いながら内心では「これを言わないとあなた達は仲間にしてくれないのだろ?」そんな気持ちでした。
他に行く所もなかったし、仕方なしに言ってました。

そう淋しかったのです。ひとりぼっちで生きていくのがつらかった。

最初のスポンサーに棚卸しを聞いてもらい、言われた言葉が、
「peeさんは特別ではない、弱さを持った普通の人間です。」
「あなたは、ずっと淋しかったのではないのですか。」

それを聞いて、心に穴が開いている自分を段々と意識するようになりました。

コロナ禍という転期

早く回復したいという思いとは裏腹に、僕の回復の過程はゆっくりとしたものでした。ミーティングに通い、その晩は楽になって帰ってきますが、その効果は長く続きません。

その他の大半の時間は仕事に追われ、人間関係で悩み苦しみ(恨み、恐れ、孤独)毎日気持ちがジェットコースターのように乱高下していました。

そんな生活を続けて3年ほどした頃、コロナ禍になりオンラインでのミーティングを始めるグループが、まるでタケノコのように沢山できていきました。

スマホひとつで参加できる気軽さと、いろんなAAメンバーの話を聞ける事が面白く、沢山のミーティングに参加しました。
(その時間は淋しさも感じないし)

そんな中で、オンラインで知り合ったメンバーに二人目のスポンサーをお願いして、初めてビッグブックを使ったステップワークに取り組みました。

夢中でやっている中で、ステップ9を終える頃には不思議な体験を何回かしました。ワークを終える日には名残惜しいというか、なんとも言えず淋しい気持ちでした。

それからは、スポンシーをオンラインで探したりできるサービスに関わったりするようになっていきました。

『諸相』スタディ

オンラインで知り合ったメンバーに教えてもらい、バック・トゥ・ベーシックスに参加したりBBSGに参加するようになったのもこの頃ですかね。
『諸相』スタディにも参加するようになりました。
初めは、内容がまったく頭に入らず、理解することが出来ませんでした。

繰り返し参加する中で、ギリギリ話についていけるような気がしてきた2023年頃、『諸相』スタディのメンバーからコ・リーダーの役割をしてみないかと声をかけてもらい、サービスに参画するようになりました。

「干し葡萄」の漢字の読み方が分からず、赤っ恥をかいたのは、今となればいい思い出です(笑)。

読書会

2023年から読書会に参加したり、自分でも読書会を始めたりしながら、スポンシーを見つけては一緒にステップワークに取り組みました。

読書会もスポンサーシップでも、沢山の失敗をしました。人を怒らせたり自分が腹を立てたり、そんな自分が嫌になったりしながらも、その時の自分にできることをしてきました。
noteでの投稿を始めたのは23年の終わりからでした。

B B S G

24年のある時、ひょんな事から気がつけばそれまで学び手として参加していたBBSGのリーダーの役割を引く継ぐ事になりました。

内心「これは大変な事になったぞ」と思いましたが、なぜか逃げ出す事もなく受け取る事ができました。

『諸相』スタディで学んだ受動性の概念とメンバーの支えが無かったら出来なかったと思います。

ミーティングに通いだした当時、過疎の街に住む僕の周りでは、ビッグブックの12ステップを手渡してくれる人を見つけることはできませんでした。

その時に感じた、なんともいえない焦燥感と心細さは今も忘れません。

こうして記事を書いたり、スタディミーティング開くのは、あの時自分が感じた苦しみを抱えている人が、意欲とデバイスと通信環境さえあれば解決とは何かを知る事ができるようにしたい、そんな思いです。

あの時の自分は正に、今苦しむアルコホーリクだったのですから。

出会いと別れ

24年は今までお世話になってきた、インパーソンのグループを抜けて『諸相』スタディをホームグループにしました。

いろいろな出会いと別れを経験した1年でした。

今まで自分が信じて来たものや、コストをかけて得てきたものを捨てる時、人は痛みと共にある種の寂しさや心細さを感じます。

その寂しさが、人を神の方に向かわせるのでしょう。
心に空いた穴を埋めてくれるのは、自分なりに理解した神だけなのですから。

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