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スタディに参加して感じたこと

先日、京都でビッグブックスタディが開催されました。企画、運営をしてくださった方、講師役を務めてくださった皆さんお疲れ様でした。
参加して感じた事を(どんどん忘れていくので一部ですが)書いてみます。


何かを手に入れるには、何かを手放さなければならない

私たちがどんなふうに変われるかは何を手放すかによる。だれもが、これから手に入るものによって変わることができると思っているが、そうではない。これから進んで手放していくものによって変われるのだーそれはちょうど、熱気球が重しの砂袋を投げ捨てて上昇していくのに似ている。
ところが、砂袋を捨てようとせず、重しをかかえたままでなお上昇したがる人が多い。

ジョー(2008) : 95

上記のテキストはステップ6・7の説明で使われていたテキストですが、12ステップ全体を通して必要な考え方だと改めて感じました。
回復していくには何かを得て、積み上げていく事ではないということ。

12ステップは世間で言われている、自己啓発のようなもの(必要な知識、スキル、意欲等を身につけて自分の力で、人生を好転させていくもの)
とは構造的に違う事がわかります。

生きていくうえでの障害となってきたものに直面し、それを捨てるための絶え間のない努力をし、続けていかなければならない

AA(2003) : 92

自分の回復(プロセス)を自分でコントロールすることはできない

講師役のメンバーは、農業の営みを例にこの事を説明してくれました。
お米を作るには田植えの前に、代掻きをはじめ田植えの前にやらなければいけない準備があります。田植えをしてからも水の管理や、害虫対策、除草、いもち病対策など様々な事をする必要があります。

それでも最後は「お天道様次第」と言われるように天候によって収穫は大きく左右される。私達にできることは必要な準備を整える努力であり、後は太陽光、水、植物が持つ光合成の働きに依存している(自分由来ではない力に頼らざる得ない)。

この例えを通して、私達も必要な準備を整える努力(棚卸し、埋め合わせ、祈り、黙想等の行動)はできる。でもその結果、霊的目覚めと言われる回復を自分の望むタイミングや、自分の望む形で掴み取ることはできない。
それは「ハイヤーパワー次第」なんですと教わりました。

結果をコントロールできないことへの不安

こう言われると、私たちは寄るべの無い不安や無力感を感じます。「努力しても望んだ結果が得られないのなら、やらない方がマシ(だって惨めで耐えられないから)。」
ミーティングの分かち合いの中で、アルコホーリクの多くがこうした考えを多かれ少なかれ持っている事を教えてくれます。
それほどまでに私たちは、自分の意志に依存して生きているのでしょう。

さて、視点を少し変えてみます。
努力して目標を達成しようとするのは私たちの意志の働きです。
次は意志についてみていきましょう。

二つの意志

アルコホーリクが意志の力で 「飲ま-ない( not-drink)」ことができないのは、不眠症の人が 意志の力で眠りに落ちることができないのと同じだ。
なぜな ら、どちらの場合も「眠る」「飲まない」という意志は目的を 達成するための手段は探せても、意志で直接的に目的を実現す ることはできないからである。
どうやら人間の「意志」には二 つの違うタイプが二つの違う領域で働くらしい。一方の領域では、意志はある方向を求め、そちらへ向かって動こうとする、 つまり「○○をしよう、○○になりたい」というふうに動く。
もう一方の領域では、意志は個別の対象を獲得しようとする、 つまり具体的に「○○がほしい」と動く。問題が生じるのは、 具体的な対象を得ようとする第二の実利的な意志を、第一の領 域に用いてしまう場合である。
第一の生の領域は意志の力によ る具体的な対象獲得ではなく、意志が進むべき方向や理想に関 わる。
それゆえ、この領域で何か具体的な対象を得ようと無理をすれば、本来は理想や方向に関わるはずのこの領域は混乱 し、力を失い、場合によっては消滅してしまうのである。

カーツ(2021) : 50

意志には2つの働きがあり、ひとつは自分の理想、願望、目標等に向かう方向性としての意志。(意志①)もう一つは、具体的な対象を得るための行動を移すときに用いる意志(意志②)。

問題が生まれるのは、具体的な対象を得ようとする意志(意志②)を理想や進むべき方向性(意志①)に適用しようとして無理をすれば、第一の意志は力を失い、消滅してしまう事といっています。
具体的にはどういった事でしょうか。

分かりやすい例をいくつか挙げて、この二つの領域の違いを 説明してみよう。意志の力で頑張るなら知識は得られるが、知 恵を得ることはできない。意志の力で従うことはできても、謙 虚になることはできない。意志の力で自己主張はできても、勇敢にはなれない。誉め言葉はもらえても、感嘆されることはない。にせの信心は得られても、本当の信仰は得られない。頑張 れば読むことはできるが、理解することはできない。身体的に 近くにいることはできても、感情的な親密は意志の力で得られ るものではない。
意志の力である期間飲まないことはできても、酒をやめて生きていく回復は得られない。

カーツ(2021) : 50

受け入れること

つまり意志には2種類あり、理想や目標としての意思と具体的な行動としての意思があるという事です。
わかりやすくするために、回復したいという願いや目標を意志①として
そのための具体的な行動を意志②と定義します。

今までの文脈で表現すると「プログラムに取り組むことはできるが、自分が望むようなタイミングや形では回復はできない」(だってそれは与えられるものだから)といえるのではないでしょうか。理想とする自分(なりたい自分)にはなれない現実を受け入れる事とは、時に苦しいものです。だから私たちには、信仰というものが必要なんでしょう。

逆説的に言うと私たちが、自分自身の現実と限界を受け入れ始めた時、回復とか成長は始まるのではないでしょうか。

そんな事を考えさせてくれたスタディでした。
今週からはBBSGの続きをしていきます。

参考文献
AA(2003) 『アルコホーリクス・アノニマス』AA日本出版局訳 ,AA日本ゼネラルサービスオフィス
カーツ,アーネスト(2021)『罪と恥』依存症からの回復研究会
ジョー・McQ (2008)『回復の「ステップ」』 依存症からの回復研究会


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