悲観すると

僕は恵まれていて羨まれることが多い人生でもあった。

だが今の僕を羨む人はいないだろう。
というか、どの瞬間の僕にも自分的には羨まれるような要素なんかないなと思う

…こんなの社会不適すぎる…なのだ

・adhd…時間を守れない管理できない遅刻癖(開き直っていて結果さえ出せばいいとほんとに思ってる)adhdは厄介だけどまだ自分の中では割と自分の好きなところ

・プロゲステロン過敏症(一生の付き合いになるやもしれんアレルギー。自分の作っているホルモンにアレルギーがあり、コントロールは出来ない。無理=死ぬ)これはほんとに厄介。死にたくない。

・片耳難聴…全く右耳が聞こえん。普段は困ることが特にないように感じるが、仕事や人間関係
音がどこから聞こえるか、誰が喋ったか、気を配るストレス。説明が面倒。かなり飲食時代大変だった。

・hsp…とにかく疲れるとても。かなり感覚過敏症。音、光、圧迫感、最近はhsp…というよりは幼少期の家庭環境から来る過度な緊張とトラウマの産物では無いのか?と思うようになってきた。


26年間生きてきた生き方を変えるなんてすごく難しい。
少しづつしか進まないのも、経験を重ねるんじゃなくて塗り替えるのも大変だ。
苦労が絶えないね。

目立って最近は、怒られたくない、説教もされたくない。
甘やかされていると言われるし、そうだとも思うが
僕はそっとしたがいい気がする。

とても疲れている。
長かった。
ゆっくり休みたい。
肩の力がやっと抜けるようになったんだ。

お小言も、お説教も、元気になってから、寝耳に水で聞きたい。

夏休みも動きすぎた。

自分というものと向き合うというのは考えるだけじゃなくて、行動するまで含むと最近思うようになってきた。

けど、行動っていうのは思考とまた違っててとても構造が面白い。
動くことにあまり深い関心はなかったけど、動くこと、長くまた時間をかけてじっくり考えていたい。


今の僕の課題は前に進めないだ

なんでそうなるかわかってる
これは正直、どうしたいのか答えを出しても信じることが出来なくてダメなやつだ

心が不抜けていく
助けてもらった分、心にエネルギーはあるけど
怖いって言う漠然としたものと理性や感性的にこうしたらいいとかどうとか言うのはわかってるけど
諦めてしまった自分とも付き合いが長い
自分は何によって動かされてきたのか、ではも動けない人は生き物だから。
新しい自分の生きる目的が必要だ。
これまでのストーリーでは縫えない

いい物語だったとても。

新しい理由がなければ、

なくてもいいだろうか。

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