多数派同調バイアス?

災害時、前のひとが行った方向に移動してしまうことを多数派同調バイアスと呼びます。
そちらが安全だとか、特に根拠はないけれど、無意識に選択してしまうそうです。

避難行動ではありませんが、私も似たような行動をしていたかも、と思ったことがありました。
私自身は視覚障害者として弱視としてはかなり見えにくい方です。
写真を見せてもらっても、それが何かわかりません。多少コントラストがわかるくらいです。
それでも料理などは写真を撮ったりしてしまいます。みんながやっているから。

でもそれは必ずしも必要ではないと気づかせてくれたのが、いとうせいこうさんの「自己流園芸ベランダ派」です。
前書きに、以下のような文章がありました。

「普通、鉢植えを育てていると、写真を撮るのではないかと思う。
が、俺はどうもその気になれない。
写真を残したところで、俺が草花から感じ取ったことは、あらかた消えてしまうように感じるのだ。
外見だけが並んでいても、過去が寂しく迫ってくるばかりなのである。
これは、俺の記憶力が以上に減退していることに起因している。
花の写真を見ても、俺はそれが何年前のアマリリスか忘れている。
どれだけ苦労してふようを咲かせても、花をひとつ見ればそれ以前のプロセスは吹き飛ぶ。
だから撮影は俺には不向きなのだ。
すべてを書き残しておく以外、記憶の術がないのである。
その上、書くと事態が明らかになる。
なぜ俺がその花の姿に感じ入ったか、なぜ根の張り方に驚愕したか、なぜ芽ひとつに狂喜したか。
そういった抽象的なことがどんどんわかってくる。
逆に書かずにいると、俺には何もわからない。
ぼんやり目をやっておしまいである。」

百聞は一見にしかず、視覚情報は9割、などと言われます。
スマホの普及で写真で記録することが容易になり、画像の重要性はとても高いです。
そしてそれができないことをとても歯痒く思っていました。
しかし、この文章を読んで、改めて文章にすることの力というか、そうしたものを見くびっていたかもしれないと思いました。
言葉にしようとすることで、より詳細に観察したり、自分の解釈が深まることがあります、。
大きな流れにつられてしまって、自分にとって本当に必要なものを見失わないようにしたいと思いました。

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