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ふありのリハビリ作品 act.4

Make a Wish(願い事)


#4、王子の家、2話

目覚めると、あたしは、まるでコナン・ドイル作品の、シャーロック・ホームズの部屋のような、広々とした19世紀ヴィクトリア朝の居間にいた。本皮の寝椅子に横たわり、サイドテーブルには美しい曲線の水差しと、コロンとした丸いフォルムのグラスが側に置いてある。
「…どこ…ここ」
あたしは、全く見覚えのない部屋に戸惑う。イギリスを意識して造られたのか、ご立派な暖炉まで置かれ、4月だというのに火が灯っている。と言っても、その火は本物ではなく、本物を模した造り物である事も分かる。
この部屋…
「…も…しかし…て…」
「僕たちの家だよ」
その声に、あたしはガバッと起き上がり、360度回転する。
「ああ、駄目だよ、そんなに急に動いちゃ」
声の主、稀くんが、にこにこ笑いながら直ぐ側に立っている。
「お腹の痛みは取れた?どうしても莉々にここに来てほしくて、乱暴な手段を取ってしまったケド…でも、僕、後悔していないよ」
ゆったりと語りながら、それは、まるで詩人が、言葉を紡ぐように流暢に、なめらかに響く。
その優しい言葉の旋律に、あたしは、暫し怒りを忘れてしまうが、突然、稀くんの表情が曇り、腹部を抱えて、ゴホゴホ咳き込むので、あたしは、ハッとする。
『…僕、具合悪い…かも…』
という言葉を、思い出したから。
「ま、稀くんっ!?」
あたしは稀くんに近寄り、背中をさする。額に手のひらを当てると、物凄く熱い。
「すごい熱!稀くん、お部屋どこ?横になっていないと駄目だよ!身体、支えるから、案内して」
あたしの言葉に、稀くんの眸が一瞬淀んだ気がしたが、あたしも頭が、パニックになっていたので、確信は持てなかった。
「…そこの…ゴッ…ゴホッ右側の扉…海の写真がプレートになってる…ゴホッ…」
あたしは、前方の壁を見据え、確かに海の写真のプレートが掲げられた白い木目の扉を発見した。ドアノブもあるので、瞬時にあの扉だ!と、稀くんをゆっくり連れていき、白い木目の、扉の前に立つ。
「鍵とかついていないから、入ろう…」
ゴホゴホ咳をしながら、稀くんがドアノブを引き、扉を開ける。
「…な…に…この部屋…」
思わずあたしは呟いてしまった。
壁紙の無い白い壁が剥き出しになっていて、窓は、白い無地のカーテンに閉ざされ、まるで病院の消毒液でも匂いそうな清潔感のありすぎる、潔癖の部屋。家具も、主だったものはベッドと勉強机、本棚。
まるで病室だ。
「あの、…ま…」
「…何も…」
「え?」
「…手を加えていないの。カレンダーも貼っていない…そういうのは…全部、後回し」
取り敢えず、寝起きできる場所があれば十分…と続け、
「莉々が、僕たちの子を産んでくれたら、この家中、全部莉々とふたりで模様替えするの。…だからそれまでは、手を…加えない…。莉々とふたりでお部屋のメイキングするの…楽しみ」
その笑顔が、あまりにも純粋で無垢で、澄んでいて…あたしは何も返す言葉が見つからなかった。この子にとって、すべての判断はあたしを前提してのことなんだと思うと、キュッと、胸が痛む。
「と…とにかくベッドに横になって休んで」
あたしは、今にも涙がこぼれるのを我慢しながら、稀くんをベッドに寝かせ、白い毛布をかけた。
「…稀くん、掛け布団は?毛布だけじゃ…寒くない?」
「んん。ここ何日かお天気が良かったから、クリーニングに出しちゃった。僕、ハウスダスト少しあるし…う…くしゅんっ」
ああもう、これじゃあ具合が悪くなる一方だよ。あたしは、ベッドの端に放置されたエアコンのリモコンを発見し、暖房設定にする。じきに暖かくなるだろう。ベッドで大人しくし横になっている稀くんは、まだ小さな弱々しい子供みたいに見えた。身体の細い線は、きっとまともな食事をしていないのだろう。
富裕層の住処、最先端の技術の居間、でもここだけは違う。理由は私の存在って言うけれど。でも、だからって同情心で結婚しても、あたしにはまだルーナの存在が大きいし、稀くんを追い越していない。今のあたしが、稀くんに出来ること。
「稀くん、あたし、ちょっと外行ってくる!ドラッグストアで、お薬と、スーパーで栄養をつけるご飯の材料と…ええと、その他、今必要な物資を買ってくる。…っても、あたしお財布無いんだった」
ガクッと頭を垂れるあたしに、稀くんはそっとクレカを差し出した。
「僕のお金使って。莉々の手料理食べたい!」
なんだ、下心が言えるだけの力は残ってたのか。まあ、瀕死状態より何十倍もマシだけど。あたしは、立膝になって、カードの暗証番号を訊き出して、
「いい、稀くん。あたしが帰ってくるまで大人しくしていてね」
「莉々がキスしてくれたら、約束する」
と、突拍子もない事を言う。
「な、なななな……」
「菜?」
稀くんが、首を傾げて見つめ返し、自分の気持に正直に直球を投げてくるので、あたしは根負けした。ゆっくり前屈みになり、額のサラサラの前髪をかき上げて、慎ましく唇を落とした。
「うぐ〜」
稀くんが、不満の唸りを日本語では無い言葉で、漏らすので、あたしは苦笑しながら、
「行ってきます!」
と、稀くんの頬に小さなキスを落とし、部屋を出た。


#5、騎士先輩、に続く



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