2度目の父の命日
2022年4月24日、ふありの父、事故死により他界
その日も、
なんでもない1日の始まりだと思っていた。
母も仕事が休みで、父の介護も、母、わたし、弟で、なんとかやっていた。
それが、もうすぐお昼頃になろうとした時、父の部屋から、母が、わたしと、弟の名前を大声で呼んだ。
その声は、既に悲鳴と化し、駆けつけた部屋では、ぐったりと倒れている父の姿。
「パンを喉に詰まらせちゃったみたい!」
母は、
「救急車呼ぶから、あなた達は…そのパンを吐かせて!」
と、母は電話で119をする。
わたしと弟は、もはや自力でパンを吐き出せないほど、身体が紫色に変化していく父に、人口マッサージをしながら、
「お父さん!逝っちゃ駄目だよ!帰ってきて!!」
と、祈りながら叫び、救急が来るまで、
戻ってきて!
戻ってきて!
と、叫び続け、その場に崩れたわたしは、父の体をゆすり、弟は、必死にマッサージを続けていました。
父は、重度の精神障害者でしたから、救急車だけでなく、警察、消防も来ました。
母に付き添われた父は、すぐ近くの病院に搬送され、わたしと弟はただ、ひたすら神様にお祈りしました。
お昼を回り、暫くして、母から携帯に、病院に来るように連絡がありました。
母が待っていたのは、病院内の奥、階段下の小さなスペースでした。
もう、母の顔を見て、
ああ、間に合わなかったんだ、と悟りました。
ふありの父、宣晴
2022年4月24日 正后 没
享年70歳
お父さん。
今日はお父さんが天国に行ってから2年も経つんだよ。
あっという間…だったね…
覚えていますか?
わたしがまだ小学生の頃、夕飯後に、リビングでアニメを見ていたでしょう。
そこで、主人公の親友が病気で亡くなってしまい、感情移入していたわたしは、ボロボロ泣いて、そんなわたしの頭をポンポンと叩き、
「お前は人の死を傷み、涙を流せる、優しい子だな」
と、言ってくれたこと。
わたしは、あの時のお父さんの言葉を今でも、ずっと覚えています。
お父さんも…同じなんだね。
あのアニメを見て、心を傷ませていたんだね…
家族思いの、優しい優しい父でした。
春に生まれ、春に逝った父
霊安室で見た、あの穏やかな優しい顔が……
2年経過した今日も、忘れられません。
ご拝読、有難うございました。
2024年4月24日
ふありの書斎
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