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食に対する向き合い方と、美的センスの関連性

 ある女性(Aさんとする)から、服をプレゼントされた。あなたのために選んで買った、着てくれると嬉しい、とのこと。開けてみると、単にファッションのテイストが合わない云々を通り越した、想像を絶した、自分にとっては恥ずかしくて部屋着にも着られないような、悪趣味極まりない代物であった。自分なら、例えば大嫌いな相手に何か贈り物を選ばなければならないとしても、絶対に選ばない、というもの。
 悪意は全くなく、好意なのでタチが悪い。
 彼女のあまりの悪趣味に衝撃を受け、共通の知人に話すと、その方も同じ目に遭ったことがあるらしい。服を頂いたが、恥ずかしくて着られるようなものではなかった、と。
 Aさんとはあまり親しくないのだが、成り行きでしばらく共同生活したことがある。その共同生活中、自分が彼女について耐え難いと思ったのは、食に関する無頓着さと、美的センスの欠落だった。
 自分は料理が趣味で、美味しいものを食べるなら手間暇惜しまないし、人に振る舞うのも好きなのだが、彼女は料理が大嫌いで、嫌いなことをお金さえ払えば解決できるならと、出来合いのものや外食ばかりで済ませる流儀。お金がかかるから私が作ってあげる、とこちらから提案しても、お金なら出すからと言って、料理させてもらえなかった。
 彼女は自分よりずっとお金持ちなのだが、身に着けるものや持ち物を見ていると、それが高価なものであろうと安物であろうと、人から見て美しいかどうか、ということをあまり考えていないように思えた。
 そして、何日か一緒に生活すれば、相手の好みは表面的にでも大体把握できるものだが、Aさんからプレゼントされた、自分の好みに全く合わない服を見て、彼女には一体観察力や共感力というものがあるのだろうか、と考えてしまった。他人の苦労話を聞いて泣いてしまう涙もろさはあるので、人情は持ち合わせているとは思うが‥‥
 人として大切な部分が、何らかの事情で欠落してしまった、気の毒な人なのかも知れない。おしゃれは自己満足の部分もあるが、周囲に不快感を抱かせないためにするものでもある。食に対する向き合い方と、美的センスは通じており、度を越した悪趣味は周囲を不幸にする罪だと思わされた出来事だった。
 

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