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環境が形成する官能と、当事者意識

 12年前まで7年間暮らした土地に、縁あって単身再移住してきて、2ヶ月目に入った。
 県庁所在地まで、車(または本数の少ないバス)とフェリーに乗って2時間。ネットが発達し、高速道路が整備されたことで、干支が一周する間に、陸の孤島と呼ばれていたこの地方都市もかなり開け、隔世の感がある。コロナ以降の地方移住ブームに乗って、都会からの移住者も増えているようだ。
 とはいえ、やはり近所の店で売っているものの種類は少ない。スーパーの品揃えはバリエーションに乏しく、ザ・王道というか、最大公約数的なもの、画一的なものが多い。最近自分の作る料理がワンパターンになっているのは、それが原因だということに思い至った。
 もちろん生鮮食料品は都会より安くて新鮮だし、都会では売っていない、この土地でしか手に入らない貴重で贅沢なものもふんだんにあるのだが、県庁所在地まで海を渡って2時間、一番近いイオンモールまで車で1時間半。自分は物質文明に背を向けて、世捨て人みたいになりふり構わず生きて平気なタイプでは全然なくて、煩悩全開のマテリアルおばさんなので、ネットで物が買えなかったら、かなりストレスフルな環境だ。
 スーパーに画一的なものしか置けないバイヤーは、恐らく味覚体験が貧弱なのだろうと思う。服屋を見ても地味でくすんだ色のものが多い(もともと保守的で、出る杭が打たれる土地柄だった)。かくして味覚や色彩感覚といった、官能形成におけるネガティブスパイラルが生じてしまう。
 永住するつもりでいるので、地域経済に貢献するため、なるべく地元の店で買い物するようにはしているが、無駄足になってしまい、結局ネットで‥‥ということも多々ある。
 人口も資本も限られた中で運営していかなければならないのだから、致し方ないのだろう。
 ただ、店内を探せば置いてあるのに、扱いがないと言われることもある。物を売ろうという意識、当事者意識がない。そのことについてクレームを言っても、悪びれる様子は全くなく、別の場所でも同様の応対を、わずか2ヶ月の間に二度も経験してしまった。
 ここの住民皆がそうだとは思わないし、心ある人もいるだろう。ただ、よく見られる傾向として、知らなくても暮らせることは、知らなくていい、知ろうとしない。自分たちが暮らしている世界の外に、違う世界があるとは想像できない。無知が罪だとは思わない。

 そんなことに目をつぶれば、この土地は、自然と人情が豊かで、空気も水もきれいな、愛すべき田舎である。愛すべきだと思えなければ戻っては来ない。
 外国では電車やバスが定刻通りに来ないことが普通だという。ここは外国で自分は外国人なのだ、と割り切って腹を括れば気も楽というものだ。
 
 


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