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これでいいと言い聞かせる美容院からの帰路

美容院に行って気分が上がる人と下がる人がいるらしい。
私は美容院に行くたびに疲労困憊に陥るので、前者の存在を知った時は衝撃を受けたものだ。
人によって美容院に行く頻度はさまざまだが、私はパーマを維持するために二ヶ月に一度は行かざるを得ない。
私の髪型は定規で線を引いたようなストレートヘアである。
直線的な髪型は鋭さやクールさを感じさせる。
それはそれで素敵だが、私は柔らかくゆったりとした印象を醸し出したい。
ヘアアイロンで曲線を作ろうとしても、髪は頑なに直線であることを貫く。
どんなに頑固な髪でも、パーマをあてるとしなやかな曲線を描いてくれる。
美容院に行くのは気が重いが、理想であるウェーブヘアのためにはパーマをあてるほかないのだ。


そもそも美容院へ行く第一段階である予約を取るところからハードルが高い。
今はネットで気軽に予約を取れるが、少し前までは店舗に直接電話をかけなければならなかった。
私は電話をかけるのが苦手である。
苦手すぎて通話の際に”会話シミュレーション”という台本作りを必ず行う。
まず自分が言うセリフと相手が返すであろうセリフを思いつく限り列挙する。
それらをまとめて様々なパターンの台本を作るのだ。
完成した台本を音読し、内容に違和感がないかを確認する徹底ぶりだ。
何かを読んでいると思われないためにわざと間を置いたり、「えっと」「うーん」などのためらいの言葉を挟むことも忘れない。
本番前に自分の声が気になり、ヘリウムガスを吸うかボイスチェンジャーを引っ張り出すのが常だ。
実際に電話してみると十中八九筋書き通りにはいかない。
毎度相手のリアクションに翻弄され、台本にない展開に動揺し、まともな言葉を発せなくなるので電話が苦手だった。


やっとの思いで予約し、当日を迎えると緊張はピークに達する。
私は一度行ったことのある美容院には行けないので、毎回新しい美容院に行っている。
美容院側に非はなく、こちら側の問題でしかないのだが、なぜか初対面の人よりも二度目に会う人の方が緊張してしまうのだ。
ともかく知らない駅に降り立った私は、マップを何度も回転させながら同じ場所を行ったり来たりする。
歩いてる途中に目的地が真逆の方向だと気付いた時には、周囲の人々に道に迷っていると思われないよう即座に女優と化す。
具体的には、電話を受けるフリをして「あれ、そっちにいるの?逆じゃない?まあいいや、今からそっちに行くから待ってて」と架空の相手のせいで逆方向へ進むと芝居を打つのだ。


プチ遭難の末、なんとかたどり着いた目的地の外観の仰々しさに思わず足がすくむ。
(13時から予約した田中です。13時から予約した田中です。13時から予約した……)
入り口周辺をぐるぐると回りながら、脳内で何度も第一声のシミュレーションをする。
意を決してドアを開けると、軽くめまいを覚えるほどの光が差し込む。
美容院はだいたい薄暗いか失明しそうなほど明るいかのどちらかで、今回の場所は後者のようだ。
「いらっしゃいませ」
髪型がキマったモード系の受付スタッフが、こちらの髪質やスタイルを品定めするような視線を向ける。
先ほど脳内で唱えた言葉を発するが、その時にはなかった「あっ」が初めにつき、まるでデクレッシェンドがかかったように、語尾にかけて声量が小さくなった。
あちらに座ってお待ち下さいと言われ、細長いデザイナーズチェアに腰掛ける。
芸術性が高すぎて見本にならないヘアスタイルブックをめくっていると、毛先を存分に遊ばせた担当と思しき人物がやってきた。
希望のヘアスタイルなどを軽く話してからシャンプー台へ誘導される。


このシャンプー台も緊張要因の一つである。
まず首回りが苦しいというのもあるが、顔に置かれた申し訳程度の薄いガーゼがズレるかもしれないスリルと常に戦わなければならない。
ズレないようにあらゆる表情筋を駆使してガーゼをキープする。
しかしシャンプーをしながら果敢に話しかけてくる者もいる。
こちとら首がちぎれ落ちそうな苦しみに耐えながら、今にも飛んでいきそうな心もとないガーゼをなんとか落ち着かせているのだ。
それでも無視するわけにはいかない。
適当に返事をすればいいものの、妙なサービス精神からだろうか、笑いながら返事したりする。
笑うとガーゼが飛んでいくリスクが格段に跳ね上がるにも関わらず、だ。
ちなみにパーマをあてる際には、このシャンプーのくだりが複数回ある。


その後は席に案内され、髪を切られたり、ロット(カーラーみたいなもの)で髪を巻かれたりしながら、ひたすらマニュアルに沿った会話が繰り広げられる。
人と話すのは好きだが、美容院ではなるべく静かに過ごしたい。
このことを事前に申告しても、大抵その設定を忘れられて普通に話しかけられる。
「この後何かご予定とかあるんですか?」
色んな美容院を転々としているが、この質問をされなかったことはない。
私は美容院に行くという一大イベントを決行している時点で、その前後に予定を組み込むことなんてとてもじゃないが出来ない。
自分のキャパシティを超えてしまう。
予定をでっち上げることも出来るが、面倒なので正直に答える。
「特に考えてませんけど、せっかく遠出したのでちょっと寄り道するかもしれません」
寄り道などせず直帰一択だが、不要な気遣いを発揮して少し嘘を混ぜる。
「あー。そうなんですねー」
突然訪れた静寂の中、髪を切る音が気まずさを引き立てる。
予定のない人は少数派なのか、それともみんな架空の予定を話しているのだろうか。
途切れた会話などさして気にしていないように、自然な間合いで机に置かれた雑誌を手に取る。
ようやく落ち着けると思ったのも束の間、同じページを眺めているとそのページに触れて話しかけられたり、スマホでゲームをやっているとそれ面白いんですか?と聞かれたりして、結局会話を避けられないのであった。
全ての髪にロットを巻き付け、謎のマシンで頭を温められている瞬間だけが、唯一の休息時間である。
最後に、洒落た容器に入った気体を吹きかけられて髪型を抽象的にされる。
「後ろはこんな感じです」
折りたたみ鏡で後ろ姿を写してくれるくだりが必ずあるが、これに対する適切な返しを知らない。


美容院を出てからは、すぐにトイレを探して駆け込む。
鏡で新しい自分に見慣れるためだ。
盛れる角度を探すように、鏡の中の顔をあらゆる方向へ動かしてみる。
いつもビフォーの髪型の方が良かったような気がするのはなぜだろう。
現時点のアフターも、いつかビフォーになるのだから大丈夫だと無理やり納得させる。
少し前まで手グセで触っていた毛先がないことに慣れないまま帰路につく。
これでいい、と暗示をかけながら。

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