藤原さくら『AIRPORT』

脱力、ハミング、しみじみとしたヴォーカル。藤原さくらは地声に近い発声で、「ほんと、よくやってんなぁ」と歌っている。それはもう休日の朝にカーテンを開けて、紅茶を一口飲んだ後にため息を漏らすような呑気さで......と言ったらもちろん言い過ぎなのだが、しかし実際『AIRPORT』は、これまでのアルバムでは最もリラックスした風合いを感じる作品である。SNSを見ているだけでも、「話題を追う」というより「話題に追いかけ回されている」ような気にさせられるし、それでなくても、暗澹たる気持ちになるニュースが多過ぎる時代である。ゆとりをもたらしてくれる音楽を手元に置いておくことは、それだけでちょっとした憩いになりうるのだ。

アルバムとしては前作『SUPERMARKET』から2年ぶりの作品である。と言っても彼女はその間に、多岐に渡る活動で話題を提供し続けた。自身の新曲リリースやライブを行うことはもちろん、他のミュージシャンの楽曲にも複数客演し(maco marets & 藤原さくら 「Moondancer」はとりわけ良い曲)、YouTubeでは多くのカバー曲を披露。子供向けの音楽番組『ムジカ・ピッコリーノ』のレギュラーを務めながら、俳優としてドラマにも出演し、さらにはポッドキャストで番組も始めるなど、ざっと思いつくだけでもこの通り。ライブに行くと本当に色々な間口から入ってきたであろう、様々な客層を目にすることができるのである。

楽曲ごとに異なるアレンジャー/プロデューサーを招き、多様な音楽性をパッケージするという点では、『SUPERMARKET』を踏襲した作品だと言えるだろう。本作では初のタッグとなるYaffleや斉藤和義をはじめ、永野亮や高桑圭(Curly Giraffe)ら7名のミュージシャン/プロデューサーが作曲、または編曲で名を連ねている。中でも2作続けての仕事となったVaVaとの相性は抜群で、前作で初めて手合わせをしたふたりは、本作の「いつか見た映画みたいに」でさらなるケミストリーを見せている。“一緒にJ-POPを作る”ことをテーマに書いたというこの曲は、本作でも出色の1曲だと言えるだろう。涼やかなトラックと黄昏時の空のような心惹かれるメロディ、そして何より余白を感じる歌と音......抒情的だが押し付けがましくならないところが、藤原さくらの歌の魅力である。

実際、彼女のここ数作は歌い過ぎないところに妙味があると思う。そこで鳴っている音と声色が、言葉以上にその曲の情景を伝えてくるのである。地声とファルセットを行ったり来たりする歌い方も独特で、それが情感豊かな響きと聴き心地の良い“隙”を与えているように感じるのだ。そうした歌のセンスと音楽的な充実度が溶け合って、本作を素晴らしい一作にしているのだろう。

さて、『AIRPORT』は本当に聴きどころの多いアルバムだが、敢えて好きな曲を3つ挙げるとしたら、「いつか見た映画みたいに」に加えて、「迷宮飛行」と「mother」を選びたい。「迷宮飛行」は彼女の音源では珍しいエレクトロファンクとなっており(Yasei Collectiveの中西道彦が曲・編で参加)、本作におけるスパイスというか白眉というか、まあ早い話がテンションの上がる楽曲なのだ。リズミカルな語感と少し挑発的な歌い方も新鮮で、続く「Feel the funk」(こちらはVaVaとの共作)と併せて、本作に軽やかな風を吹き込んでいる。

そして関口シンゴとの共作である「mother」だが......この曲を初めて聴いた時、あまりの出来栄えに気絶するかと思った。清らかな川の流れ、澄み切った大空、広々とした青の景色が浮かんでくる音像に、心のひだに触れるようなギターの音色。愛をテーマに書いたという抽象度の高いリリックと、ゆったりと流れてくるような透明感のある歌声。どこを切り取っても、それまでの藤原さくらのディスコグラフィにはなかった懐が深いおおらかさを感じるのである。<やさしい雨が わたしを何処かへ 連れてった>というラインで始まり、<水を注いで 静かな宇宙 仰いだ 溶けたのは 深い愛 繋がっているようだ>というフレーズで終わる歌詞も、この曲の清涼な空気を引き立てているように思う。

「Kirakira」や「君は天然色」の、眩いばかりの音色に心が上向く。その朗らかさこそ、この音楽をかけがえのないものにしている要素だろう。Spotifyで公開された全曲セルフライナーノーツの中で、藤原さくらは「カラッと爽やかな、前向きなアルバムになった」と語っている。健やかなムード、サバサバとした心持ち、それでいて心温まる音色。ハレーションの向こうから聴こえてくるような、晴々しい音楽である。


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