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たった一言で救われる事だってある

こんにちは!
絵にならずネタになる
漫画も描けるイラストレーターのおなかです!



さて今回は…


イラストを描き続けてて心からよかったと
思ったエピソードを自分のモチベーションUP!のために
記録に残しておこうと思い、キーボードを叩いています。



私が学生の頃…今から15年ほど前にはなりますが

イラストを描く人=オタク

みたいな風潮がありました。
そんな事ないよ!って方もいると思いますが、
私の住んでいる地域はそうでした。


できるだけ知られないように…でも徹底するつもりもなかった私は
普通に授業中に絵を描いてサボるし、ノート作りの一環と言い訳して
オリジナルキャラクターを描いてたりしていました。


といいつつ全く人目を気にしないでもなかったので
教室ではひっそりこっそり描いていました。


隠すつもりがない分、不愉快にならないイラストを描いていました。
暗いテイストや、グロい表現などは描かないよう徹底していました。

上記を徹底していたからか、面と向かって気持ち悪いなど言われたことはありませんでした。
でもクラスメートの陰口を聞いたことは何度もありました。


放っておいてよ。私は別に悪いことしていないし。

一人で楽しめる趣味を持って何が悪い?


そう思いつつ相手にするのも面倒だった私。
波風起こさずひっそり、こっそり?描いていました。
でも自分のイラストって価値が無いのだろうな、と思うようになっていました。

だって、絵を描く人はオタクっぽくて気持ち悪いから。
油絵とかじゃないから。
だからこれは自己満足でしかないのだと。



その思いこみはそのまま社会人になっても引き摺ったままでした。



今でこそ堂々と心の底から胸を張って
イラストレーターです!!と言えるようになりましたが、


そのきっかけをくれたのがとある方の一言でした。



それが今年の2月。
そう、石井東吾先生のジークンドーセミナーです。


ここでも先生は私の価値観を変えるきっかけをくれたのです。

今までは自分のイラストの価値を見出せないまま
イラストレーターとして活動していました。


でも何かしら感謝の気持ちを伝える機会があるなら
何事も伝えたいなという思いは持っていました。


自分の気持ちを言葉にすることができない私は
描く事でしか気持ちを表現できないことも分かっていました。


イラストの持つ情報量に頼るしかなかったのです。
過去に送ったら終わりの一方通行なので
舞台役者の方にファンレターでイラストを送ったことはありました。


イラストなら捨てるのも楽だし!とりあえず気持ちだけでも込めよう!

そう考えていつもファンレターはイラストに。
全ては自己満足。そう自己満足なのだ。
渡した後はどうなってもいいのだ。自己満足なのだから!


そんな自己満足。自分の気持ちは一ミリでも伝わればいい。
最悪、わたしはあなたを応援しています!が分かってもらえればいい。
そんな考えでした。



セミナー後、先生と写真撮影や交流の時間が少しだけ設けられていて
ファンレターを手渡しするタイミングを待っていました。

先生に直接ファンレターを手渡しするのはその時で3枚目でした。
性懲りも無く描いて来ちゃいました…と渡しました。


すると先生はこれ(ファンアート)好きなんだよね!と
全部飾っているよ!!とニッコニコの笑顔でさらっと言いました。


……カザッテル??
………飾ってる!!!?


最初は言葉の意味が理解できずにいましたが、
すぐにズドーーーン!と鉄ハンマーで頭を殴られたかのような衝撃を受けました。
予想だにしない先生の感想に真っ白になりましたが
絶対また描いて来ます!!!!そう伝え、セミナー会場を後にしました。



帰りの電車はボケーーーっと思考がまとまらない状態で
でも先生の言葉を思い返しては嬉しさが込み上げていました。


自分のイラストであんなに喜んでもらえる日が来るなんて。
夢みたいだなぁっと。


それと同時に自分のイラストがやっと認められたと思っている自分がいました。
面と向かってイラストが好きと言われた事もなかったのです。

しかも先生は、インスタのストーリーズや
Xのポストに私個人にDMを下さったんですよね。


その気持ちがほんとうに嬉しくて嬉しくて…


純粋な気持ちで発した好きという言葉は時に人を動かす力がある。
その一言だけで、報われる事、救われる事がある。

東吾先生からその言葉を頂いたその瞬間、
私はイラストレーターとしての
自覚と自信を本当の意味で持つ事ができたのです。


たった一人でもいい。
私のイラストが好きだと思ってくれる誰かがいればいい。
その誰かのために、描き続けて技術を磨き、頑張れる。


学生時代に言われた数々の心ない言葉に傷ついていた
自分が救われた日でもありました。

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